悪いのは私達なのかも・・・。    (~_~;)

ゆう@子育てパパ


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窪田順生の時事日想:

 最近、日本全国のホテルで「食品偽装」が話題になっている。

 のべ47品目ものメニューが実際の食材と異なったものを使用していたことを「誤表示」だと言い張って、社長が辞任に追いやられた阪急阪神ホテルズを皮切りに、ザ・リッツ・カールトン大阪、名鉄グランドホテル、JR系ホテルクレメントなどの名が連日のようにあがり、名門・帝国ホテルまで飛び火。問題の広がりっぷりはとどまることをしらない。

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 こういうニュースが流れると必ずといって出てくるのが、エラい先生やらジャーナリストみたいな人たちがおっしゃるこんな意見だ。



 「日本社会全体のモラルが低下しているのではないか」――。



 昔の日本人はインチキをしたり、客をダマしたりして金もうけしようなんて恥知らずなことはしなかった。それに比べて、今の日本人には「誇り」がない。ああ、情けなや、というわけである。



 こういうことを言う人はわりと世の中多いようで、阪急阪神ホテルズが運営するホテルで「誤表示」が明らかになった時も、「小林一三が草葉の陰で泣いている」みたいな声が多く聞かれた。



 先人は偉大である。こういう考えは否定するつもりはサラサラないが、最近になってモラルが急落した、みたいな言い方はいかがなものかと思う。



●「食品偽装」は昔からあった



 日本社会の「モラル」は以前からだいたいこんなものだからだ。



 「ささやき女将」がスターダムにのしあがった6年ほど前、偽装が山ほど発覚し、その時もみんな「氷山の一角だ」と口々に言った。そこから昭和にさかのぼってもコンスタンスに食品の偽装はある。



 それは戦後の日本人がダメなのであって、戦前の日本ではありえなかったとか言う人がいらっしゃるがそんなことはない。



 明治・大正に活躍したジャーナリスト・村井弦斎(むらい・げんさい)の『食道楽』には、つい最近報じられていることのようなことがバンバン載っている。例えば、外国産のようなインチキラベルを貼った瓶のなかに、安物の国産品を詰める。「バター」をうたいながら、植物油や豚の脂をまぜる……国の審査がザルなことをいいことに、かなりダイナミックな偽装がまん延していた。



 いや、それも西洋文化に毒されたのであって、それ以前の日本人はそんな恥知らずなことはしねーよ、とおっしゃるかもしれないが、『好色一代男』で知られる井原西鶴も、煎茶に茶の煮殻を混ぜて売り出した悪徳商人を描いており、江戸中期から「食品偽装」があったことがうかがえる。



 つまり、この手の犯罪は昨日今日に始まったことではなく、300年前、あるいはもっと前から日本社会のなかでわりと頻繁に行われてきたというわけだ。



 そう考えると、ロブスターを「伊勢エビ」として提供するとか、搾りたてじゃないのに「フレッシュジュース」を名乗るというのは、分かりやすい伝統的インチキだが、騒ぎになっているもののなかには、そうとは言い難いものまで含まれていることに違和感を覚える。



●融通のきかない社会



 例えば、「鮮魚」だ。



 「鮮魚のムニエル」と言いながら、実は冷凍食材を使っていたとかいう話だが、瞬間冷凍して鮮度を保っていたのだから、解凍したって「鮮魚」であることに変わりないじゃないかという見方もある。鮮魚か解凍かも明確に消費者に開示せよというのなら、日本中の居酒屋にある「刺身盛り合わせ」の多くが、「解凍した刺身の盛り合わせ」に変える必要に迫られるだろう。



 遠洋で取れるマグロなどの魚は冷凍されるのが当たり前だ。つまり、これは「メニューの表示」というものをどう考えるのかというルールの話であり、「偽装」とはキッチリと分けて考えなくてはいけない問題なのだ。



 ところが、今や「鮮魚」や「地野菜」というのを日本中のホテルが続々とメニューから外している。なぜ「偽装」と「メニュー表示の問題」をごちゃまぜにしているのか。



 この元凶は、言うまでもなく「阪急阪神ホテルズ」である。



 「コンプライアンス」と「情報開示」ということに盲目的に従うあまり、自分たちの頭で、「偽装」と「メニュー表示の問題」を整理して考えることをせず、とにかく全部公表すりゃあいんだろと、すべてを「誤表示」のくくりにするという強引な言い訳をした。



 その“悪しき前例”に業界全体が引きずられてしまっているのだ。一業者と問屋で起きた食中毒を日本全体の焼肉屋へ飛び火させ、日本国民にユッケや生レバーを食えなくさせたことからも分かるとおり、日本の食品行政は面倒が起きたら、「くさいものにはフタ」という手法をとる。



 こういうガチガチに融通のきかない社会はまわりまわって、消費者に不利益をもたらす。自らが生み出したルールにとらわれるあまり、杓子定規な解決策しか考えられない。低下しているのは、「モラル」などではなく、「柔軟な考え方」ではないか。





[窪田順生,Business Media 誠]