ゆう@子育てパパ

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あなたの話の9割は相手に伝わっていません:
極度のあがり症とまではいかなくとも、多くの人はいざというときはプレッシャーを感じて緊張するものである。普段の実力を出すにはその感情をコントロールすることが欠かせない。どんなことに気をつけたらいいか、まずはそこから見ていこう。
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●実力があっても本番で調子が悪ければ「デキない人」と評価される
「話し方」についてくわしく説明する前に、知っておいてほしいこと、身につけておいてほしいことがある。それは、感情のコントロールである。極度のあがり症とまではいかない人でも、いざというときはプレッシャーを感じて緊張するものである。普段の実力を出すにはその感情を克服することが欠かせない。どんなことに気をつけたらいいか、まずはそこから見ていこう。
本番に弱いという人がいる。彼らの多くが、プレッシャーのために実力を十分に発揮することができない。
例えば、オリンピックでメダルに期待がかかっていたものの、結果は限りなくゼロに近いなどということはよくある。実力がないわけではなく、実力からしたら十分にメダルは取れるのに結果につながらないのだ。
これは、なにもオリンピックに限ったことではあるまい。模試では調子がよかったのに試験本番になると緊張して頭はまっ白になり、思うように点が取れない。職場でセールストークのリハーサルをしたらスラスラと言葉は出てくるので、「よし」と客先に行くと思いどおりに言葉が出ない。会議で思ったことを発言できずに、いい案があっても他人の手柄にされてしまう……。社内プレゼンで偉い人を前にしてあがってしまい大失敗、大恥をかいた。
この辺はもしかしたら、自分のことだと感じる人も多いだろう。
もちろん、なかにはまったく逆の人もいる。社内ではさえないのに、客先では抜群の力を出せる営業マン。会議になると普段とガラリと変わって、発言をバンバンしていく同僚。あまり勉強していないのに、テストになると点がよかった学生時代の友人……。
さて、この差はどこにあるのだろうか? 実力差であろうか?
いや、たいていの場合、ノーベル賞クラスの人を除けば人の能力差は大したものではない。本番に強い人はテストでもいい点をとるし、プレゼンも成功できるし社内外でも評価は高い。営業マンなら、グンと売り上げも伸びるものだ。
逆に本番に弱い人は、実力はあっても周囲から認められず「あいつは頭が悪い」「あの人は実力がない」という評価を下されてしまう。
では、本番に弱い人の本当の理由は何だろうか? なぜ、プレッシャーに打ち負かされてしまうのだろうか? 私は、その理由を知っている。
結論から言えば、本番で「あがってしまう」から実力の半分も出しきれないのである。また、人から認められないのだ。それで伝わる話し方もできずに終わってしまう。
なぜそれが分かるのかと言われるかもしれない。しかし、私にはよく分かる。なぜなら、自分自身があがり症のために、あらゆる「損」を身をもって何度もしてきたから。
そんな私の悲惨な体験を混じえながら、そこから脱却できる具体的な方法をお伝えしていこう。
私は今、あがり症だった人間とは思えないほど、まったく逆の仕事をしている。
それは「人前で話をする」ということだ。年に150~200回ほどの研修や講演では、平均すると20~30人くらいの受講者がいる。ときには100人を超すこともある。ある製薬会社では、170名を相手に講議を行ったこともある。
本書の手法を用いたら、このくらいのことは楽にできるようになる。社内でのプレゼンも客先でのセールストークでも、あがらず堂々と主張できる人間へと変身できる。
私は「生きた事例」なので、なぜあがるのか、どうしたら落ち着くのかをすべて身をもって味わってきている。ただ、完全に何も知らない状態から始めたので「よし、自信をもって話せる」というくらいになるには、10年近くかかってしまった。
あなたは10年もかける必要はない。私がどうしたら感情をコントロールして気持ちを落ちつけることができるのかを「最短時間」であなたに伝えよう。
もしも、あなたの人生のなかから3週間私にあずけてくれたなら、あなたは必ず本番に強い人になれる。そして3カ月後には、あなたは立派に雄弁家となり頭のいい人という評価を周囲からしてもらえる「デキる人」となれることを保証しよう。
●あがり症のせいで、人生で損ばかりしてきた私
私の「あがり症歴」は古くて長い。自分で言うのもなんだが、私はもともと記憶力のいい子どもで世界各国の首都や歴代天皇の名前など、小学校低学年でスラスラと言えた。だいたい1回で「ペルー、リマ。エクアドル、キト。チリ、サンティアゴ……」と読みあげるだけで覚えてしまっていた。
「考える力」もあった。例えば小学生のとき、先生が「ハイ、じゃあこの問題の分かる人?」と質問する。そんなとき、周りの子どもは皆「うーん」とうなって考えていても、私はクラスでいちばん早く正解が分かった。
さて、ここであがり症でもなんでもなければ「ハイ」と手を挙げて、先生からも褒められる。周囲からも「スゲエー」などと言われるわけだ。
これは小学生に限らない。社会人の会議の発言などもよく似た構図だろう。つまり、堂々と自説を主張したり、それが正当であれば周囲から認められて評価されるのである。
私はすぐに分かっても手を挙げられなかった。別に肩とか腕が痛かったわけではない。「ハイ」と手を挙げて、そのあと指名されるのがまず「恥ずかしい」のであった。また、立ち上がって皆の前で答えを言うと、震えてしまって顔が赤くなる。つまりは強度のあがり症だった。
それがいやで、答えは分かっていても手を挙げられないという状態が続いていた。さすがに小学生なのであがりを克服する本などを読むこともないし、ジレンマはずっと続いていた。
そんな私でもテストのときだけいい点なので、周りも不思議に思っていたようだ。さすがに担任の先生だけはそんな私の性格を見抜いてくれていたので、通信簿では評価はよかった。しかし実際には、自分のほうがずっと先に分かっているのに、あとからできた子が手を挙げて褒められている。それを見るのはとても悔しくてイヤなものだった。
あなたは似たような経験を、会議や集まりでしたことはないだろうか? 「そんなこと、とっくの昔に俺だって考えていたんだ」「なんだ、それで褒められるのか」といった感情を抱いたことはなかったか。
能力でなくて、あがり症のために周囲から認められない。これは小学生にとっては悔しいし、どうしたらいいか分からない大問題であった。私が小学生の頃はこんなことがずっと続いた。
●恋愛でも損をしていた
そして、あがりがマイナスに働いたのはなにも授業ばかりではなかった。私が小学校3年のときの話になるが、どうやら当時の私は可愛らしい男の子だったらしく、よくクラスの女の子から誕生日に誘われた。その女の子たちから告白されることも多くモテる男の子だった。だが、私は本命と思っているKさんに好かれたかった。ただ、1回も「好きです」とは言えなかった。彼女から「松ちゃん大好き」と言ってくれても、私は堂々と口にできなかった。
やがて4年生になり、クラス替えがあり彼女とは別のクラスになった。ある日、学校の屋上で遊んでいたら、そこに彼女が同級の男の子と手をつないでやってきた。「こいつが前に好きだった奴? ふーん」と、そのKさんの「彼氏」は私をジロリと見ると、2人で手をつないで楽しそうに駆けていった。
分かりやすく小学生時代の話をしているが、これは大人でもまったく変わらないだろう。異性に「あがり症」のために告白することができない人、それが小学3年の私だった。見かけは悪く頭も冴えないような男でも、先に告白されたなら、彼女はそっちの男のほうを選ぶということもあるわけだ。
つまり、あがり症だと理想の女の子と付き合うような「夢」が達成出来ないことがあるのだ。あるいは仮に告白できたとしても、自分の気持ちがうまく伝えられずにフラれてしまう可能性も大きいだろう。
たかがあがり症、されどあがり症で、こんなマイナスはもうこれ以上は味わいたくないものだ。この話は恋愛だけでなく仕事、経済、家庭という人生での大事な場面のすべてに共通することである。
「あがらずに堂々と、自説を言える自分」「異性に自然に接することのできる自分」
私はずっとそうなりたいと強く願ってきた。あがり症であるがゆえに、気持ちや意見を伝えられずに終わりたくはなかったのだ。
その後、仕事は大成功して異性にはモテまくって……とは言えないけれども、少なくとも「あがり症」は克服できて、人から「先生」と呼ばれるような仕事にも就けて、今は思うように仕事ができている。
では、その私が習得したあがり症脱却法について、さらに詳しく説明しよう。これにより、あなたも日常の場面で感情をコントロールすることが出来るようになるだろう。
●あがり症の人の話は相手に伝わりにくい
上司から意見を問われて「あのー、エーッ……」とモジモジして、口ごもっていたとしよう。「こいつは頭のイイ奴だ。仕事もできる」とは思われないはずだ。
これは上司に限らず、得意先でも異性の前でも、会議の場であっても全く変わらない。あがってしまって堂々とできなければ、周囲からは「できない人」「ダメな奴」というレッテルを貼られてしまうことになる。
堂々と自信をもった受け答えをしたとしよう。当然「こいつはできる」「すごい!」となり、重要な仕事も任されたり回ってくるようになる。
先述したように、人には「能力差」はほとんどない。要は「見せ方」であり、立場、役割にどれだけ徹してなりきれるのか、がビジネスでは大きなアドバンテージになる。「あのー、その……」とはっきりしない態度では、どんなに能力があったとしても「頭のイイ人」とは思われないだろうし、話は相手に的確に伝わらない。
しかし、あがり症を克服して堂々とした振るまいができたとしよう。そのうえで「ポイントは3つありますね。まず1つ目は……」と、理路整然と自信をもって発言したらどうなるだろうか? 当然、評価は高まり難しい仕事も「あの人ならデキる」と任されたり、相談に乗られるようなことも増えていくものだ。それをうまく成功させたらますます評価は高くなり、「成功のサイクル」が回り始める。
●成功するのは「デキると思われている人」
「デキる人」、正しくは「デキると思われている人」が成功するのである。「煮え切らない態度の人」「自分の考えのない人」「はっきりしない人」と思われたら負けである。
現実には、今のあなたの能力で十分。あがり症が克服できれば、その100の能力を120とか150に見せることが出来るのだ。
しかしあがり症だと、いま述べたような「はっきりしない」「自分の考えのない」「煮え切らない」という人だと思われてしまう。本当はそうでなかったとしても。
高い評価は、まずは好印象からである。あがり症をなくして、そのうえで好印象を与えるスキルを駆使していくとあなたの評価は確実に高まっていく。
もちろん、実績を残していく必要はある。私はこの「高評価」「好(高)印象」「高実績」を、あがりを克服したあとの新三高として成功の条件に挙げている。
まずは、あがりを克服して好(高)印象を持たれ、そのうえで「デキる人」とみられるようにしていこう。
あがり症がなくなれば堂々と自分の主張ができて、社内では「デキる人」の評価を高めることができる。これは社外でもまったく同じである。営業マンなら能力を発揮して売り上げを伸ばし、成績を上げていける。当然、出世に通じていくことになる。あがり症がなくなれば、昇格試験や昇進試験でも100%の実力が出せるのでよい点が取れる。くり返しになるが、あがり症を克服すれば、伝わる話し方もだいぶ出来るようになる。
また、本番で実力を思いどおりに出すことが出来るようになる。プレッシャーに負けずに本番に強くなるので「結果を残せる人」となれる。
さらに「頭のいい人」と、周囲からも思われる。異性にもモテるし、人を動かす影響力のある人になれる。
結局、あがり症を退治したなら、あなた自身の能力をフルに発揮できるようになる。世の中は実力者によって動かされていく。あなたは自由に、思うような人生の成功を手にすることができるようになる。
たかがあがり症と侮ってはいけない。私は「もしも自分が今でもあがり症だったら」と思うとぞっとしてしまう。今のような、人前で話をするという仕事そのものが成り立たなくなってしまうからだ。
また、「話し方」や「あがり症克服」をテーマにした本など、とうてい書くことはできないだろう。編集や出版の人と会っても、あがり症で口ベタで自分の考えるテーマを何も主張できずに「無能」と思われて、結局は「仕事そのものがなくなる」のだ。
仮にものすごく能力があったとしても、あがり症を克服できずに放っておくと「あいつは能力がない奴」と思われてしまうということだ。いたずらに、人生の成功から遠ざかってしまうことをこれ以上放っておいてはいけない。今すぐあがり症を克服して、思いのままの人生を生きるようにギアを切り替えていこう。それは、そう難しいことではない。(次回は「敵対する人も、話し方次第で味方になる」について)
[松本幸夫,Business Media 誠]
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