人間ドラマだなぁ~、頑張って欲しい。     (*^_^*)      ゆう@子育てパパ



人気ブログランキングへ




 プラズマ・ディスプレー・パネル(PDP)はいま、強い逆風にさらされている。日本の技術者が世界で初めてフルカラー化に成功したにもかかわらず、生産を手掛ける国内の電機大手は1社だけ。最後のとりでとなったパナソニックも撤退を視野に入れる。そんな中、プラズマを実用化に導いた当の本人、篠田傳(つたえ)(64)が率いるベンチャー企業が超大型プラズマディスプレーの新モデルを開発し、受注活動に乗り出した。「プラズマには幅広い能力がまだまだ隠されている」。技術者の意地だけではない。需要を必ず生み出せるという経営者としての確信が篠田を突き動かしている。

【目立ちはじめた無駄】パナ“先祖返り”の真意 事業部制を復活させたワケ

 「ベンチャーの壁を乗り越え、渾身(こんしん)の製品をようやく発表できる。プラズマの生みの親として、新しい超大画面を世界に提供したい」。神戸市中央区の人工島、ポートアイランドにある本社で3月26日、篠田プラズマ会長兼社長の篠田は自信を込め、曲面状のフィルム型ディスプレー「つながるシプラ」を報道陣に披露した。縦2メートル、横1メートルの画面を6台連結すれば250インチ相当の大画面が生まれ、迫力ある映像が見る人を包み込む。



 紫外線を蛍光体に当てて発光させる原理は同じだが、通常のPDPで使うガラス基板の代わりに、直径が1ミリのガラスチューブを採用。内部に蛍光体を塗り、放電ガスを封入したチューブを電極フィルムで挟み込み、薄くて軽い表示画面シートを作り出した。



 従来の大型ディスプレーよりも消費電力は半分で済み、重量も半分から3分の1に抑えた。プラズマ特有の発熱もほとんどない。表示装置の組み立ても簡単に行える。製造工程でクリーンルームや大型設備が不要となり、コンパクトな工場で生産できるのもメリットという。



 「LAFi(ラフィー)」と名付けたこの技術で篠田が思い描くのは、遠く離れたところにある自然の風景や街並み、等身大の人間の姿をインターネットを通じて大画面で再現し、「空間を伝送する」ことだ。ここまで来るのには曲折をたどった。大学卒業後、1973年に富士通に入った篠田は一貫してPDPの開発に携わり、富士通研究所のトップ研究者「フェロー」に上り詰めた。その間、病魔に苦しんだ時期もある。ところが富士通は2005年、ディスプレー事業からの撤退を決め、PDP製造会社を共同出資相手の日立製作所に譲渡してしまう。



 篠田が率いる開発チームは、既に新技術を使ったディスプレーの試作と動作確認を終え、製品開発に取り組もうという段階だった。衝撃は大きかった。しかし、篠田はあきらめるつもりは全くなかった。「この技術は何百億円もの投資をしなくても実用化できる。まさにベンチャー向けの事業」と考えていたからだ。篠田は2005年6月に篠田ディスプレーを設立し、07年3月に富士通を退職。チームの研究員10人のうち7人が行動を共にする。退路を断ち、篠田をリーダーに再挑戦が始まった。



 転籍組の一人で、プロセス技術部と商品設計部の部長を務める取締役の平川仁(45)は「このデバイスが持つ可能性は高く、技術者としてやりがいがあると考えた」と振り返る。小学校の校長も務めた篠田の妻、洋子(64)は組織運営や交渉の能力を生かして設立当初は社長、現在は専務として会社を支える。洋子も「技術者魂を持つ信念の人。山あり谷ありだったが、言ってきたことは全て本当になった」と、篠田の有言実行ぶりに信頼を寄せる。



 篠田プラズマは09年以降、従来品の「シプラ」を兵庫県の明石市立天文科学館や関西空港、兵庫県立美術館に設置し、12年4月には東京の複合ビル「渋谷ヒカリエ」の商業施設に納入するなど実績を積み上げてきた。ただ、いずれも顧客の注文に応じたオーダーメード品だった。



 これに対して新製品では量産化を妨げていた壁を崩し、既製品化を図る。平川はこう話す。「従来は手作りに近く、生産効率が悪かった。詳細は企業秘密だが、工程の自動化にめどが立ってきた」。篠田は今年を「第2の創業」と位置づけ、生産能力を大幅に増強する考えだ。



 篠田は家庭への展開も狙っている。室内を囲むように取り付けることで「部屋にいながら別空間をリアルに疑似体験する」。未来小説に出てくるような光景が篠田には見えている。ただ、夢を現実に変えるには課題も多い。1台で約400万円という価格は従来品のほぼ半額とはいえ、どこまで受注を伸ばせるかは未知数。家庭向け製品には大幅なコストダウンと一層の高精細化が必要となる。



 調査会社の英フューチャーソース・コンサルティングの推計によると、商業用大型ディスプレーの世界需要は台数ベースで12年は前年比63%増の36万5000台とみられ、14年にはその1.8倍の65万9000台に伸びる。さらに近い将来、100万台規模に膨らむと予測している。



 市場は目前に広がっている。当面の目標は現在の売上高3億円を10億円に増やし、約40人の従業員が働く会社の経営を盤石にすることだ。そのためには世界展開が欠かせない。パートナーを探し、米国や中国で売り込みをかける。その準備も動き出している。=敬称略(村山雅弥)