自分もまだまだ若い。頑張らなければ・・・。(~_~;)



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 日本初の女性報道写真家として話題を集めている笹本恒子さんの98歳の誕生日を祝うイベントが、9月に札幌で開かれた。東京で生まれ育った笹本さんにとって、札幌は第2のふるさとというほど縁が深く、今年6月には彼女のギャラリーもオープンした。管理人を務める吉田里留(さとる)さん(54)は「笹本さんの言葉には重みがあって、写真とともに多くの人に伝えるのが自分の役割だと思っています」と語る。(札幌支局 藤井克郎)



 「もう98歳になってしまいまして、どなたか私より年上の方、いらっしゃいます? いらっしゃらない。あ、私が勝った」



 9月16日、札幌プリンスホテル国際館パミールの大宴会場に詰めかけた約280人のファンを前に、笹本さんがちゃめっ気たっぷりに話しかける。多くを中高年の女性が占める客席に向かって、笹本さんは「これからは本当にみなさんが努力なさって、年なんか忘れちゃってお仕事をなさってください。50代、60代の方が、主人は仕事で子供はそっぽ、私は何をしていいかわからない、などとおっしゃる。50なんてこれからがあなたの人生じゃないですか」とエールを送った。



 笹本さんは大正3年(1914)の9月1日、東京で生まれた。昭和15(1940)年に日本初の女性報道写真家になり、ヒトラー青年団の訪日、三井三池争議、60年安保闘争などさまざまな時代の現場に立ち会ってきたほか、大宅壮一、浅沼稲次郎、井伏鱒二といった当時の日本を代表する顔をカメラに収めた。一時期、写真と離れていた期間もあったが、71歳で復活。明治生まれの女性を撮影した作品集を発表するなど、今も現役写真家として活躍を続けている。



 この笹本さんと札幌の縁が生まれたのは、ふとしたことがきっかけだった。現在、農業を営むかたわら、札幌市豊平区で笹本恒子写真ギャラリーが入る「六軒村エン・ロケン」を管理する吉田さんは10年ほど前、ある大学の先生から相談を受ける。笹本さんの写真パネル250点を預けてある倉庫が倒産して、作品を引き上げることができないかというのだ。



 吉田さんは当時、札幌でアーティストのマネジメントの仕事をしていた。それまで笹本さんのことは知らなかったが、東京で初めて対面し、マッカーサー夫人の写真など1点1点、丁寧に説明を受けて、何とかこれらの作品を救い出さないといけないと思った。まず帯広市のデパートで写真展を企画し、その後、吉田さんの両親が経営していたかつての学生寮の建物で保管することにした。



 「東京で受け入れることになったらお返ししようと思っていましたが、何となくずるずるとなっていた。その間、笹本さんは何度も北海道に来てくださって、1部屋でいいからギャラリーがあったらいいわね、と話すようになった。歴史的な写真だし、こんな何のゆかりもないところでやっていいのかな、とも思いましたが、思い切って去年の春先、この建物をギャラリーに改装することを決意したんです」と吉田さんは振り返る。



 こうして六軒村エン・ロケンは今年6月、ギャラリーの入るシェアハウスとしてオープンした。笹本さんのギャラリーは1部屋と言わず、1階の3室と廊下を活用。歴史的な瞬間をとらえた写真から明治の女性の肖像写真など、250点のうちの80点が展示されている。さらに、笹本さんの言葉を吉田さんがしたためた「しなやかなことばたち」の展示コーナーにカフェ、札幌在住の押し花作家、たけだりょうさん(53)のギャラリーもある。



 また2階は若い芸術家のシェアハウスになっていて、すでにイラストレーターら3人が住んでいる。ちなみにエン・ロケンの「エン」は笹本さんが常々口にする「ご縁がある」の縁、「ロケン」はこの辺りの古い地名、六軒村を笹本さんが大好きなフランス風に発音したものだ。



 「コンセプトの一つがものづくりで、住んでいる人や集まってくる人とのアート教室や工房、商品化なども考えています。それに私は無農薬で野菜を作っている農家でもあり、自分で野菜を作るキットなども商品化できたらいい。笹本さんは、とにかく自分でやれることは自分でやろう、という方で、ご自宅のマンションのテラスで野菜も作っている。洋服も自分で作って着ていて、自分たちでやるのが一番だということを学びました」と吉田さん。



 吉田さんのつてで笹本さんとも親しくなったたけださんも「インスピレーションはものをつくるきっかけになるのよ、とか、何でもいいからときめくことを忘れずに、とか、笹本さんのメッセージに救われたり乗り越えられたり確認させられたりして、勇気と元気とエネルギーをいただくことがあります。昔の日本人のすばらしいところを伝えてもらって、私もそうやって生きていきたいと思っています」と話す。



 笹本さんは一昨年、96歳のときに自分の年齢を初めて明かしてメディアの注目を浴び、写真集や随筆などの出版が相次いでいる。ギャラリーは金土日の週3日だけのオープンで、事前に電話予約が必要だが、毎週50~60人は訪ねてくるという。道内はもちろん、東京や大阪、沖縄など、訪問客は全国にわたる。



 「住宅街の中のわかりにくい場所なのに、わざわざ探してここにたどり着く人は、それは心ある人でしょう、って笹本さんも言ってくださる。このギャラリーをやってよかったな、と改めて思っています」と吉田さん。9月には六軒村文庫シリーズの第1弾として、笹本さんの言葉を集めて31日の日めくりカレンダーにした「笹本恒子のつねこいろ。」を商品化、全国に笹本さんのメッセージを伝えたいと張り切っている。



 バースデーイベントでおよそ2時間、何も資料を見ずに撮影のエピソードなどトークを繰り広げた笹本さん。最後に9月末からまたパリに取材旅行に行くことを打ち明けると、会場からは「わーっ」というどよめきがわき起こる。「帰ってきたら、またみなさんとお会いすることもあるでしょう。みなさんお若いんですから、どうかがんばって」と笑顔で語りかけ、会場を後にした。



 イベントを終えた笹本さんにエン・ロケンについて聞いてみると、「かわいいところでしょ」と満足そうな笑みを浮かべてこう答えた。「私はふるさとがないものですから、札幌は第2のふるさとのように思っています。ありがたいですよね。吉田さんのおかげね」