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■現代美術家、フジオ・プロダクション社長・赤塚りえ子さん
『天才バカボン』など多くの人気作品を生んだギャグ漫画の王様、赤塚不二夫さん。一人娘のりえ子さん(47)は現代美術家として英ロンドンのギャラリーに所属する傍ら、父の作品やキャラクターを扱うプロダクションの代表として多忙な日々を送っている。
4年前の夏、母と父を相次いで失った。ファッショナブルでエネルギッシュ、父との離婚後、常に心の支えだった母、登茂子(ともこ)さんは末期がんで倒れ、わずか2カ月半で帰らぬ人に。脳内出血のため、6年前からコミュニケーションが取れない状態だった父が肺炎を起こして亡くなったのは、母の通夜の前日だった。
「この世の終わり。毎日毎日泣くしかできなくて、いつ2人の後を追おうかと考えていました」。そんなとき、父の「追悼号」と銘打たれたムック本をふと手に取った。手塚治虫にささげられたパロディー「鉄腕アトムなのだ!!」という作品を読んで、心の底から大笑いした。どん底を蹴って浮上する自分を感じた。
「こんなことして手塚先生は怒らないのかっていうくらいくだらない(笑)。でもそのとき、『笑いって生きるエネルギーなんだ。パパがやりたかったのは、こういうことなんだ』というのを体で感じました」
不二夫さんは旧満州で生まれ、10歳で終戦を迎えた。祖父は連行され、引き揚げできょうだいを亡くす。苦しい生活の中で出合った手塚治虫の作品に感銘を受け、漫画家を志した。「幼い頃にたくさんつらい思いをしているから、パパは笑いの力が本当に分かっていた。だから、人を楽しませることにこだわってきたのだと思います」
父から「俺は嫌いな人というのがいない。だから、漫画にも本当の悪人は出てこない」と聞いたことがある。職業や年齢、バックグラウンドで人を判断しない。父が倒れるまで熱心に作品を読んだことはなかったが、大人も子供も動物も対等な目線で描かれていることに気づく。作品の中に父が生きていると感じた。
父は過去や常識にとらわれず、常に破壊と創造を繰り返した。父にも母にも「女の子なんだから」「大人なんだから」といったことを言われたことはない。やりたいことは周りを犠牲にしてでもチャレンジする好奇心の強さ。それは、自身も受け継いでいる。
アートを学ぶため、29歳で英国に留学。年齢も結婚していたことも障害ではなかった。「考え始めたら頭は英国でいっぱい。やりたいと思ったら突き進んじゃう。驚きと刺激で自分を変えたいんです。父もそう。家庭も犠牲にしたしね(笑)」
父とそのアシスタントをしていた母は8歳のとき、女性問題で離婚。だが、母は明るさを失わず、父のよき相棒であり続けた。父は人間を愛し、多くの人に愛された。「父の娘というだけで、私も本当にたくさんの人によくしてもらっている。父を愛し続けることが今の私の仕事。すごく幸せなことだと思います」(戸谷真美)
【プロフィル】赤塚不二夫(あかつか・ふじお) 本名・赤塚藤雄。昭和10年、旧満州古北口生まれ。31年、少女漫画『嵐をこえて』でデビュー。『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』など多くのヒット作を生んだ。平成10年、紫綬褒章受章。20年、肺炎のため72歳で死去。
【プロフィル】赤塚りえ子(あかつか・りえこ) 昭和40年、東京都生まれ。平成6年に渡英。13年、ロンドン大ゴールドスミス校ファインアート科卒。18年、フジオ・プロダクション代表取締役就任。著書に『バカボンのパパよりバカなパパ』(徳間書店)など。
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