またアップロードされたけど、ブログ機能はかわってないのね。

ま、何でもいいけど。




昨日は実習先へご挨拶に行ってきました。千葉大学医学部附属病院。


まずは医学部長にご挨拶。
千葉駅からバスで15分くらいのところにあるのね、医学部キャンパス。

もうね、完全にバイオハザードの世界だった。

戦前からの煉瓦造りの建物
開かないドア
重い扉
冷房ないのにひんやりな館内
廊下に並んだ用途不明の大量の冷蔵庫
ボロボロのパソコン
「組み替え生物飼育中」と貼られたドア
などなど…


もう途中からワクテカしちゃって大変だったわw組み替え生物て!←

医学部長の先生は優しそうな方でした…実は自分にウィルス打ち込んだラスボスn(ry

そして、そこから歩いて病院へ。
超でかい!14階?地下もあるし。屋上はヘリポートだし。

これは多分地下にヘリポートを開けるためのカードがあるんだけど、組み替え生物が各階で待ち構えてて、屋上で医学部長と最終決戦っていう(ry

そんなこんなでこれからお世話になる外来の先生にご挨拶したり、臨床心理士の方にご挨拶したり。

心理士の方はほとんど明治卒でした。

そして一人は木高の大先輩でした!!
パー線通じた!!

とりあえず木高カーストについて語りました。

上り方面(袖ヶ浦、千葉方面)
地元(木更津、巌根)
下り方面(君津、富津以南)
パー線

だよねと。じもトーークwww
その方は大貫だそうで、クソ田舎ですねというお話をしました。笑

んで、カンファレンス。
お医者さんの見立ての早さと的確さにビビりまくりました。すげぇな。
物凄く包括的に見ながら、核心を掴んでるみたいな。感動もの。こんなの聞けて良いのか?みたいな。勉強になりまくりです。

そして飲み会。

近くの病院と合同で。
名刺を配りまくっといたw

そして皆さん本当に良い方だった。

来週から本格的に始まって、患者さんを持つのもそろそろ…重症例が多いよ、と脅されましたが、物凄くバックアップが手厚そうだし、僕なりに一生懸命やっていきたいなと思います。

おーわり。







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僕の中の二年前くらいがからのテーゼが

センス

でした。

前、ここの日記でも書いたかな。

三つ上の方(つまり、院を卒業されて社会人二年目の方)の修論発表に学部三年生のときに出席して聴講したとき、

もちろん細かい内容は当時ではちんぷんかんぷんだったけど、強く感じたのは、

根幹を揺さぶられる、興味を駆り立てられる強さを感じられなかった。

要は、

この研究やばいな!
すげぇ!
これはセンセーショナルだ!

的な感覚を感じられなかったということです。いや、失礼だけどね。

もちろん先輩方は二年間全力で取り組まれたテーマだから、物凄く尽力され、こだわりを持たれていたのもわかるんだけど、

そこに決定的に足りないものがセンスなんじゃないかな、とその当時から感じていたのです。

これは逆説的に考えると、その分野に興味のない人間、もしくは当時の自分のように、あまり知識がない人間が、適切に理解でき、かつ、実感出来る内容こそ良質な研究であるとも言えるのです。

まぁ、個人の嗜癖の問題ってのも往々にしてあるんだけれども。

にしても研究センスって凄く重要だと思うんだ。

とか思ってたら、この間のガイダンスで学院長も全く同じこと言っててビビったんだけども(学院長と美味い酒飲めそうだぜ、とか思ったのは内緒ね!←

何にせよ、センスの素に志があるわけで、

どういう分野で、何を目的として、何を提供出来るか、ってのは研究の本分であります。

僕の志は、心理的疾患の改善はもちろん、その大元、つまりマクロな視点から、何をすれば母数を減らせるかという考えがあります。

まぁ、心理的疾患を成長と捉えれば一概に減らしゃいいのかってのも問題なんだけど、この話すると長くなるので置いといて。

とにかく苦しんでる人の母数を減らせれば、それほど幸せなことはないかなと。

じゃ、どうするか。

認識を正すことじゃないかと、僕は考えます。

心理的疾患(うつ病とかね!)は近年ようやく注文されて、メンタルヘルスだとか、心の癒しだとか言われ出したけども、まだまだよく理解されてないと感じるのですよ、心理学やってる人間としたら。

なんなら誤解とか曲解すら生まれてると感じるのですよ、一部メディアがテキトーなこと言うから。


それが偏見だとか差別に繋がるわけで、結局悪循環しか生まれてないと思うわけ。

だからこそ、その認識を適切なものにすれば、いわゆる差別や偏見、そこから生じるストレスだとかが緩和されんじゃないかと私は考えるわけです。

そういった意味でも、伝えたり、教育したり、総じて啓蒙することこそ、今後の僕の中の心理学のテーマであり、そのこと自体に治療的側面と予防的側面が内在するのではないかと私は考えるわけです。

どう?難しい?笑
本書けそうでしょ?笑

色々はしょってザックリ言っちゃえば、心理的な教育を早期に、中高くらいでやっちゃえば、そしてそれを義務化すれば、社会全体が変化すんじゃね?ってことです。難しい?

とか思ってた矢先この本。

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4535983461/ref=mp_s_a_1?qid=1333641197&sr=8-1

14歳からの精神医学

これね、考え方は凄く好きなんだよね、ネーミングは「~からのハローワーク」パクってるぽいけどw


僕も斜め読みした程度なんだけど、かく疾患に関する具体的な事例が乗ってて、症状や経過なんかが平易に書いてあってわかりやすいっていう印象なんだけど…どうも結論がよろしくないらしく。

結局、読み手の感想として

薬飲め

って感じてしまうんだって。
ちゃんと読んでないから何とも言えないけど、そういう風に感じてる人がいるのは紛れもない事実なわけよ。

もちろん、向精神薬とか抗うつ薬が悪いとかじゃないのよ。確かに効くし、それに救われてる人はごまんといる。

ただ、この本、基本的に思春期の人が発症したら…って書き方なのね。

で、思春期における薬物のエビデンスってまだ今ひとつ確立されてないのよ、心理学先進国のアメリカにおいても。

やっぱり依存性、再発率、後遺症とか、色んなリスクがあるのよね。そもそも、大人が飲んだってあるんだから、子供ならなおさらでしょ?

じゃ、なんでそんな書き方にしたのか。

以下は僕の私見ですので、寛大に。

著者のみぞ知るとこなんだけど、Amazonのコメントにあったのが、資金源、出資元の問題ね。

薬で治そうとする方々の強い意思の現れかもしれないけど、それも行き過ぎると大変だよね。

だし、著者も自費出版はしんどいと。心理職はワーキングプアですしね。

つまり、言論の自由と現実的な金銭もんだいですよ。

出資元の意思尊重よ。

先輩と飲み行って、おごってもらうためにはそれなりのヨイショが必要的な?







…なんか、大人ってそういう世界なのかもしれないけど…なんかねぇ。

自分の意思なのかとか、勘ぐっちゃうよね。

研究も本もパブリックなものである以上、ね。皆まで言わんが。



とにかく、僕のやりたいことに近いのは確かだし、この斬新さにはセンスを感じるのです。

あとはやり口だね。

著者はその対処策に熱意を持ってるかもしれないけど、僕は僕なりの熱意があるわけで。

それを明確にして、反芻して、明確にしていく。

これが僕の使命なのかもしれません。

そのためにも、がんばらないと。

と、意気込みつつも眠気MAXなので、しりすぼみですが、この辺で。

またちゃんと書きます。








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久々に出しちゃうぞ★特濃★←

ド下ネタからこんばんみ、日付変わって4月2日ですね。

新生活初日であります!

明日からまた大学に行きますぜ←

でも四年間通じて入ったことのないリバティー1Fのホールでオリエンテーションです。院生へのVIP待遇なんでしょうか?

新生活っちゃ新生活なんけど、半分以上顔見知りで、しかも仲良くないという希望もへったくれもない悲しい状態です。せつねー!

いたたまれず、ここで撒き散らす俺の白い衝動ですよ。あ、ここ、下ネタです。←


そんなこんなで今まで色々ありまして。

金髪に染めて先輩からけちょんけちょんに怒られ、数年ぶりの黒染め(見かけたら似合ってるねって言ってね!笑)しちゃったりとか。

仲の良かった女の子のことを最高に嫌いになってストレスと過労でメニエール病という耳の病気にかかってしまい、お酒を満足に飲めなくなったりだとか(現在進行形で。

最終的に自律神経全部だめになって半分寝たきりみたいになったりだとか、

体調最悪の中、卒業式後の飲み会で飲まされて、テキーラショットし過ぎて久々にぶっ潰れて御茶ノ水からタクシーで帰ったりとか、

朝起きたら財布が空っぽで¥7550と書かれたタクシーの領収書が残されてたりだとか、

先輩が長崎に勤務で送別会したりだとか、

ゼミの先生と飲み会したりだとか、

そのゼミ飲みで先生がその女の子を完膚無きまでにけちょんけちょんにしてくれて最高に爽快感を感じたりだとか、

心理学の行く末に暗黒感じて、無音のカラオケでブルーになったりだとか、

ルノアールの方は辞めたいけど仲のいい人と別れるの淋しいなぁとか思ったりとか、

なんか、色々と考えさせられる三月でした。

学生風情を噛み締めながら、そんな問いかけや疑問に答えを出していく二年間になるのかなぁと思ってみたり、ラジバンダリ(この人たちどこいったの?←

まぁ、まとめれば、ぼちぼち元気です。体調は良くないけども。

ただ、他人との交わりが物凄く苦手というか、下手くそになった気がします。

一人ならいいのよ。

例えばさ、ずーっと一人でいて、生活もこなして、まぁたまにバイトなり学校なりで他人と顔を合わせたりするのはいいのよ、公の場だから。

でも、その他人が生活に組み込まれてきたら。それほど恐ろしいことはないのです、僕にとって。

自分で、一人で積み上げてきた何か、プライドなのか世界なのかわからないし、とってもちっぽけなものなんだけど、なんかその根底を揺るがされるというか、その自信をぶっ壊される気がしてとても恐ろしいのよね。

多分依存はしてないんだけど、依存してる錯覚に陥っちゃうというか、依存したいというおこがましく弱々しい自分の欲求と強制的に向き合わされてしまう感じっていうのかな。

鏡の世界に閉じ込められた感じ。

僕は基本的に非常に自分に自信がないし、弱い人間だってことも自覚してるけど、だからこそ抑圧しているわけで、

それが他人と関わっていくと、そのフタをこじ開けられて、自分の弱さを目の当たりにしてしまって、物凄く怖いし、本当にダメになってしまう。

それは他人が好きだけど、根底で信じ切れてないというか、結局言えば自分の問題なんだけれども、今までの経験だよね。

そして、同性じゃなくて異性に強くそういう感情を喚起させられるんだよね。

語弊を招くかもしれないので、予め言っとくけど、これ見てるぽっきとじょんそんは別よ?

それは異性として見てないという意味じゃなくて、付き合いの長さと深さの問題ね。

そうじゃない、例えば大学で仲良くなった人とかには特にそう。

人は誰しも社会的欲求として承認とか受容を求めるのは当然のことだし、受容してもらえた体験もあるんだけど、最期の最期で捨てられるという経験をあまりにもされ過ぎてしまって、感覚が麻痺してしまってるんだと思う。

でも、元を辿れば、自分の中の依存欲求や承認欲求が物凄く強いんだと思う。

だから、究極言っちゃえば自分の素質とか人格的な問題かもしれないけど、もしかしたらもっと深層の無意識的な部分の問題かもしれない。

特に心理学勉強してるから頭では理解できるけども…っていう所がより自分を苦しめる節もあるし。

…まぁよくわからない訳ですよ、自分でもw

でも、人と会ったら、同じかそれ以上の日数を一人で過ごしてリセットしないとおかしくなってしまいそうな自分もいるわけです。めんどくさいねー←

自分でも面倒くさいってのも分かってるんだけど…そういう性分なのかな。

というわけで、彼女よりもセフレ、セフレよりもギター、とかよくわかんない公式が生まれています。究極、モノと技術と努力は裏切らないからね、生きてゆく中で一番の糧ですね。

だからこの感情と向き合って解決していくのも、この二年間で踏まなくてはいけないプロセスだし、昇華していくことで臨床家として大きくなれるプロセスなのかなぁとか勝手に思っています。自分の心もしれない人間が他人様の心なんて見れるかい!って話だよね←

そんなここんとこの私であります。

こんな状態なのに、これから女性社会に突入してゆきますよ…女難の相ってこのことなのでしょうか?←

ま、とりあえず、一歩一歩、踏みしめていく院生活を送って行こうと考えておりますので、これからも末長く仲良くしていただけると幸いでございます。


さ、寝よっかな。

















…おやす眠眠打破!←





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