No one knows the truth, and everyone knows the truth
本当の事は誰も知らない、でも、すべての人が本当の事を知っている。
私は、神様を感じる最初のイメージは、イエスキリストだったと記憶しています。私が4−5歳の頃、クリスマスの時期にイエスキリスト誕生のテレビだったか、本だったかを見た記憶があるような無いような。
クリスマスは、イエスキリストとか、ヘレンケラーとかのお話がテレビでやるから好きだなぁと、思っていた憶えはしっかりあります。
中学校はミッショナリースクール(宣教師によって設立された、キリスト教教育に基づく学校)でキリスト教の教育をしっかりと受けました。反抗期まっただ中の私は「きれいごといってんじゃねぇよ」と息巻きながらも、壊れそうだったその頃の私を、神様とイエス様がしっかりと支えていてくれました。
高校を卒業しようという頃、洗礼を受けよう迷っていたとき、その後の身の振り方を決定づける事が起きました。
ある先生が、世界の歴史だったか世界情勢を私たちに教えていたとき、ちょうどその頃はイラクに対する欧米の制裁などが実行されたり、東欧諸国が大荒れだった頃だと思うのですが、こういいました。
「戦争は、いつも、ヨーロッパ、すなわち、キリストを信じる国が勝ちますね。みなさん、それはどうしてだと思いますか」
私は、もう名前も覚えていないあの先生が、そう言ったときの顔を忘れる事が出来ません。そして、そのときに自分の胸にわき上がった、あの、えもいわれぬ気持ちも絶対に忘れません。
私は、洗礼を受けない決心をしました。そして、ここまで私を支えてくれたキリスト教を信仰しないのなら、死ぬまで他のどの宗教にも入らない、と決心しました。
そしてまた、聖書とイエスの言葉が真実なら、私がどこに居てもどんな形でも、私のもとに戻ってくるはず、と信じていました。
そのあと、どうなったか。私は今居る場所を、まだしっかりとわからないので、自分でもよくわかりません。
ただこの言葉を、どこからか、ふと思い出しました。No one knows the truth, and everyone knows the truth.
なぜ英語なのか判りません。文法が間違っているかもしれないし。ただ、日本語だと、エゴや理屈を入れそうになるけれど、英語だと、上手く使えないぶん、シンプルになるので、良いのかもしれません。
本当の事はだれも知らない、でも、すべての人が本当の事を知っている。
神と呼ばれる愛のエネルギーのなかでは、だれも、なにも、いつでも、どこでも、決して分断されることはなく、ましてや選別される事は無いのです、きっと。