ハレルヤ!
偶然、今井さんもLucyの時に「ハレルヤ」という曲を書いたそうで、その事が携帯サイトで質問されていましたね。
まったくの偶然。ほほう。
この曲は、今アルバム中一番暗いです。なんでか分からないんですが。
あれか?ギターの音が歪んでて不協和音状態だからか?
曲とタイトルがマッチしてない、全てがおかしい感じです。
不安定。
だから、櫻井さんは喉を裂く位の声で「ハレルヤ!」と叫ぶ。
さて、まずは提供者のお話。
村田有希生さん。後ろに、my way my loveって書いてますね。
my way my loveは日本のインディーズバンドだそうです。
「日本のソニックユース」「ぶっ壊れたマイブラ(マイ・ブラッディ・バレンタイン)」と評されているそうな。
サイトに飛んだ時、パソコンが壊れたと思いました。
さてさて、「ハレルヤ!」です。
まず、ハレルヤとはヘブライ語で「主を褒め称えよ」という意味です。
ハレルヤに関して有名な曲と言えば、ヘンデルの「メサイア(メシア)」というオラトリオ第二部の、所謂「ハレルヤ・コーラス」(メサイア自体のラストがアーメン・コーラスなので、この二つは対なんですってよ)ですな。
もしかすると、学生時代の音楽の時間で聴いた事のある方もいらっしゃるかもしれません。
それで、歌詞の話なんですがね。
これ、意味分かりますか?
最初は、生まれたらもう戻れないよっていう、櫻井さんがよく書いてる事の亜種みたいな感じなんですが。
次。
這いずる 白い乳房 僕はナメクジ
これ、どういう風に受け取ればいいのでしょうか。
よくある情事の歌詞なのか、それとも、この後の「予感」とリンクさせているのでしょうか?
リンクするかな、と思った部分が、
くちびるが君を感じながら
なんですがね。
で、一番最後に、歌詞カードに載っていない言葉を櫻井さんが言ってます。
載せられない事なんですがね。書いていいのかな?聞き取るにも時間がかかったし。
そして、その聞き取りが正しいとも限りません。
最初、聖書の一節を読んでいると思っていたのですが。
天におられる我等の父よ 僕は貴方を殺すだろう
天におられる我等の母よ 僕は貴女をおかすだろう
ハレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ!
最後の「おかす」は変換しませんでした。どっちか分からなかったので。
エディプス・コンプレックスを思い出しました。
新月
五月頭くらいに予告したこの曲を、ついに書く事になりました。
今回のアルバムのテーマの中に「ゴシック」があるというお話なんですが、アルバム中それらしい曲があるのかと問われた場合、「SACRIFISE」と「新月」としか答えきれません。
あんまりゴシック聞かないですからね、分かりません。
で、この曲の提供者は、皆様お馴染みの土屋正巳先生です。
過去に、土屋先生のソロアルバムにおいて、櫻井さんが2曲参加していました。
まず、この曲の導入部分はとても静かです。しかし、Aメロ終了後から転調して、ギターノイズが入る、少し緊迫した雰囲気になります。
あと、この曲はストリングスが入っていますね。それが、またいいんです。
櫻井さんなんですが、その曲それぞれの場面で歌い方を変えていますね。
一番好きなところが、いつかの予告でタイトルにさせていただきましたこちら。
どうして届かない どうして叶わない
「届かない」の「い」の所が上擦る辺りに焦りを感じ、「叶わない」の叫びに絶望を感じてしまいました。
一番好きな、私の中では最もドラマティックな曲だと思います。
じゃ。歌詞に行きますか。
前の予告において、このような疑問を提示しました。
・月明かりと「新月」
・「僕の想い」は独りよがりか
・なぜ「幸せ」なのか
・「新月」と「ROMANCE」の「僕」は同一人物か?
・「GHOST」
そのうち、下2つにつきましては後日研究文としてあげます。
今回は、上記上から3つをメインに書きます。
まず、「月明かり」と「新月」についての考察から。
新月は、現在でこそ「太陽の光により地球上から見えなくなる月齢」として知られていますが、本来は、この「見えない状態」から最初に見えた月の事を指していました。
で、現在の「新月」でいけば、「月明かり」は無いはずのものです。
しかし、タイトルに「新月」と据えているのは何故か。
曲の最初で、こんな歌詞が出て来ます。
今夜は 月になるよ
しかも、条件付きで。「君の心を知れば」という事なんですが。
あ、なんかこうじゃないかという考えが雷の様に!
この話、2番目の疑問である「『僕の想い』は独りよがりか」にも続く話になります。
まず、情景描写として、もとから月は出ているんです。
月は夜の象徴です。「僕」は夜にしか存在出来ませんから。
「月明かり」は、夜にしか生きられない「僕」の道標でもあり、また「僕」の本質を見せる存在でもあります。
あれです。正体や結果、事の理由とかを表に出す時に「白日の下に」とか言いませんか?
「僕」にとっては「太陽」は、見られない、見てはいけない存在なので、「白日」と「月」を彼自身で置き換えているんですね。
で、「君」が「僕」を想っていてくれているのなら、月になる。
つまり、「君」もまた「月」を頼る存在になる。
だから、精神レベルの話なんですが、「月」は「僕」にとっての「君」なんじゃなかろうかと。
しかし、終盤にこんな歌詞が現れます。
月が滲むよ 君が歪むよ
この前に、
君が僕を 突き刺した
と出て来ます。
それが、物質としてなのか拒絶とかそういった精神的な類なのかは分かりませんが、「突き刺した」ことで、「僕」の視界に変化が訪れます。
「滲む」と「歪む」。
情景として思い描けるのは、拒絶にあって涙目な「僕」か、刺されて息も絶え絶えになり、視覚が利かなくなった「僕」なんですが。
拒絶にあって涙目な「僕」でいきますと、サビの
逃げちゃだめだよ 泣いちゃいけない
が、自分に言い聞かせているっぽくなりますね。
「君」に言い聞かせているのかな?とも思ったんですが。
どちらにしろ、彼の視界の「月」はぼやけて見えづらくなります。
その事と、冒頭の「今夜は 月になるよ」は掛けられていると思います。
「月」が見えなくなる。
そもそも、「月になる」には条件がありました。
君の心を知れば
これ、私はですね、「僕」の思い込み前提で言っているんだと思ったんですよ。向こうも「僕」が好き~みたいな。
しかし、本当はですね。「君」側の動きなんて最後の方にしか出て来ないんですよ。
単純に読めば、「君の心を知れば」っていう文は、「君の心」がどうであれ、それを知る事が出来れば無条件で「月に」ならなきゃいけないと思うんですよね。
でも、月が滲むは君が歪むはで本当の「君」の気持ちが、最後まで出て来なかった。
なぜ、「突き刺した」のか。
その思いが分かれば、彼が最後に死んでしまおうと、「月」になったかもしれません。
でも、知る事は出来なかった。
それを「新月」、つまり「月」の出ない夜というタイトルにした。
だから、彼の独りよがりだったかもしれないし、実はお互いに思い合っていたのかもしれない。
「君」は、「僕」の愛を「首筋に きつく込め」られているんですから、もしかすると、その日のうちに死ぬ運命だったのかもしれません。
どういう風に吸血鬼が誕生するかと言えば、インターバルを置きながら吸血行動を繰り返し、相手が死にます。
で、死んだ次の日の夜に吸血鬼として復活するんですね。
「僕」は彼女を同じにしようとしていたんじゃないでしょうか。
「君の心」を気にするくらいですから。
サビのお話で、「逃げちゃだめだよ 泣いちゃいけない」というのがありますが、私が現時点まで書いてきた文でいくと、どちらに対して言っているのか分からないですね。
「僕」が「君」に対して言ってるのだろうと思いますが。
「僕」と同じ存在になるという事実から、もしくは「醜い僕の想い」から「逃げちゃだめ」なのか。
人間である事にお別れをする事実から、もしくは「醜い僕の想い」を知っても「泣いちゃいけない」のか。
恐怖からか。悲しみからか。
どちらにしろ、叶わないという言葉が全てを物語っているとおもいます。
「君の心」を知る事も、「醜い僕の想い」が報われる事も、「笑顔を見せて」という懇願すら。
で、ですよ。
「幸せ」だったのか。
彼なりに「幸せ」だったんじゃないですか?でも、なんで「幸せ」なんですかね?
「君」に気持ちをぶつけ、同じ存在に出来る事を思うと「幸せ」なんでしょうか。
ここだけ見れば、やっぱり「僕」の独りよがりなのかな?とも思ってしまいますが。
でも、「君の心」を知らないのですから、これは謎です。
長すぎた。今回はここまで。