2004年6月23日 ビクターよりリリース
17年。
櫻井さんがソロ活動に入るまでに要した期間です…と書くと、激しい誤解を招きますが。
実際の所、この活動以前に「櫻井敦司」個人の名義で世に発表された曲というのは存在しています。
1992年3月21日にリリースされました『DANCE 2 NOISE 002』において、「愛の惑星」にも新たな形で収録されていますが「予感」という曲を発表しています。
その時から数えたとしても、12年。
その間に、ISSAYさんのソロアルバムや土屋正巳さんのソロアルバムに参加したり、日独英混合ユニットSCHWEINに今井さんと共に参加したりしてはいましたが、ここまで大々的に「ソロ、やります」と言ったのは初めてでございます。
にしても、こんなに年月が開いているのは何故なのか?
そういった、「何故ソロを?」という話は、私はよく知りません。
確か今井さんがLucyやるっていう話になってから、櫻井さんのみならずBUCK-TICKの皆様は各々の活動をされたんじゃなかったでしたっけ?
一人だけ、体を鍛えてた人がいたらしいですが。
その辺の詳しい話は、よそ様もしくは動画で上がっている櫻井さんのインタビューをご覧ください。ごめんなさいね。
さて、今回のアルバムは、様々なアーティストの人達が櫻井さんに楽曲を提供しています。
その辺りもちらほら織り交ぜつつ、「渾身」の意味を知る事になるこのアルバムについて、感想を書かせていただきます。
SACRIFISE(Last Confused Mix)
アルバムの1曲目。この「SACRIFISE」は、櫻井さんがソロ活動を始めるにあたって最初に登場した音源でございます。
その時と、ミックスが違うんでしょうね。持ってないから比べられない…。
この曲、アルバム中3番目に好きです。
PVは…あれは何なんでしょうかね?
あれのメイキングも拝見したんですが、櫻井さんは黒衣を纏う旅人ですかね?
たまに現れる影。覆われる空。
この曲のキーワードに沿った形のPVで、結構好きです。
さて、この曲を提供した方なんですが、Wayne Husseyさん。ウェイン・ハッセイさんとお読みするのですか?
なんだろう、BUCK-TICKの「ROMANCE」は、今井さんの「ウェイン・ハッセイへの答え」らしいんですが。
このウェイン・ハッセイさん。
元々DEAD OR ALIVEにいたギタリストで、のちにThe Missionというバンドを結成しました。
で、「God Is A Bullet」というアルバムに、この「SACRIFISE」がタイトルを変えて収録されているそうです。
発売は2007年ですね。タイトルが、「Running with Scissors」だそうです。
動画サイトとかで探したんですけど、映画がヒットする…。
で、いくつかThe Missionの方を拝聴したんですが、聴いた曲がたまたまそうだったのか何なのか、ダークなテクノみたいな感じでした。
この「SACRIFISE」のような、いわゆるUKゴシックみたいな雰囲気じゃなかった。最初、カルチャークラブ聴いてんのかな?と思いました。
しかし、この「God Is A Bullet」を聴いた方の記事に、この様な事が書いてありました。
曰く、「ここ10年見られなかったウェイン・ハッセイ節全開」だそうで。
へえ~。一回聴いてみたいな。
さて、初っ端のこの曲なんですが、櫻井さんが未だかつてないくらいに高音地声で叫んでおります。
後に、更に上を行く「胎児」がありますが、シングルを初めて聴いた方はどう思われたんでしょうか?
私の感想ですと、
「これ、櫻井さんなのか?」
になります。
確かに、何をどう取ろうとも櫻井敦司。
それは揺るぎないです。
しかし、それはあくまで私の中での話です。
しかも、良いでも悪い意味でも「BUCK-TICKの櫻井敦司」しか知りません。
もちろん、BUCK-TICKのヴォーカリストとして築き上げて来たものに偽りはないのです。
しかし、何者でもない「歌い手」の櫻井敦司を見た事も聴いた事もなかった私からしてみれば、これは衝撃でした。
こんな風に歌えるのか。
まあ、この衝撃も、やっぱり「胎児」で更に体感する羽目になるのですけれども。
さて、歌詞の話。
まず、「SACRIFISE」の意味なんですが「生贄」です。
歌詞にも、このような形で表現されています。
捧げよう 悪魔へと 望むならば 何もかも 捧げる
この曲、というかPVの話になるんですが、PV中、櫻井さんは「影」を見ている側ですよね?
そして、空が黒い何かに覆われようとしている所を見ています。
普通の人達に混じっている黒衣の男=櫻井さんと、歌詞に出て来る「影」は同一と見て良いような気がします。
それを関連付けるのが、
引きずってゆく 黒い影 俺は薄汚れている
の部分です。
にしても、ずいぶん力強い歌ですね。
例え世界が翳り、己が闇に紛れて逃げていく影であっても。
ゆく当てもなく、悪魔に身を捧げる程にぬくもりが欲しいと叫んでも。
それでも 今は 生きて 歌え
しかし、声を殺して泣いてさよならしてるのは誰なんですかね?
しかも、「、」←おまけ付き。
思うに、一番最後の「愛しい者よ」以外は、全て自分の歌なんでしょうか。
そうか。「愛しい者」に対する決意の歌なのかな?
声を殺してさようならを言ったのは「俺」で、「愛しい者」に言ったんじゃないでしょうか。
でなければ、何故冒頭で「何が欲しい 何を望む」とは出て来ないんじゃないかな。
しかも、「捧げよう 悪魔へと」の件も出て来ないんじゃないでしょうか?
そして、この「俺」の「望み」は叶っていない。
何故なら、最後に「愛しい者」へこう言っているからです。
この胸に深く刻もう
何を?
「愛しい者」と「生きて 歌え」という己自身への決意を。
でもですね。なんと、ここまで来てピンと来てないです。
最後近くに「悪魔」の件が出て来るからなんですけれど。
決意の歌である事には変わりないんですが。
上の段で「願いは叶ってない」と自分で書いてて言うのもなんですが、叶う途中かもしれないですしね。
「ぬくもり」を得る為に、悪魔と取引きをする。
己の願いを叶える為ならば、悪魔の望むように何でも捧げる。
それが、もしかすると、
生きて 歌え
かもしれませんしね。