道化師A
荘厳な「異形の目覚め」から一転し、次はハードな曲です。
と言っても、ギターがノイジーで、でもテンポはゆっくり、ただし重たいという。
イントロのギターが、曲の節目節目に出てくるんですが、歪んだ高音なので、まるで叫びみたいに聞こえます。
なんていうか…ハードボイルドっぽい。
間奏部分で一旦は大人しくなるんですけれど、途中から音の上がり下がりが激しくなって(これはギターで音出しているんですかね?)、この間奏で男がどれだけ狂っているのか(もしくは狂っていくのか)が垣間見られる様です。
櫻井さんの歌い方も、随分強くて男らしいです。
なんか違うな。抑えていようとするけれど、結局抑えきれなくて、最終的に「叫び」や「狂気」を噴出させている。そんな感じです。
タイトル通り、ある「道化師」の歌です。
詞を読むと、「道化師」の「俺」は、たまに来る「あの子」に恋をしているようです。
しかも、「血の文字で書いた」「手紙」を送ろうと思っている程、狂ったような恋です。
ですが、曲が進むうちに頭に「?」が浮かんできます。
二回目のサビの歌詞を読んでみますと、
誰もお前を 気にしちゃいないさ
とあります。
初めのサビの所で、「あの子が泣くと 俺は死んでも死にきれない」という物騒な事が書いてありますが、解釈出来そうな心情として、好きな人に泣かれる(楽しんでもらえない)と満足できないと思っているんじゃないかと。
でも、二回目のサビで、正体不明の「お前」に対して辛辣な言葉を吐き、誰からも気にされない「お前」を、「俺」は「殺したいほど愛している」。
終いには「鏡」が出てきて更に混乱しました。
分からない。でも、考える余地はあるよね。
と言う事で、2パターン考えてみました。
その1。
「俺」=「道化師」
「あの子」=「お前」
このパターンで行くと、「道化師の狂気の愛」という歌になります。
この歌詞には、「俺」が狂っているという直接的な事はほとんど書いてないんですが、「血の文字で書いた」の辺りを見るにつけ、「俺」は狂っているんだなと思えるんです。
で、狂おしい恋を「あの子」に向ける「俺」。
「あの子」が辛い思いをすると、「死んでも死にきれない」ほど「あの子」を愛している。
でも、その思いを伝えた事は恐らく、無い。
何故なら、「俺は名も無い道化師」であり、「舞台裏で震えている 髭の女装歌手」という何とも言えない存在だから。
だけど思いは募るので、「俺」の熱い気持ちを込めて、「血のように赤い」花と、「血」で書いた「手紙」を贈ろうと考えた。
やばいです。妄想にしたってやばいです。
思いついた話の流れなんですが、「俺」は例の物を「あの子」に贈ったんじゃないですかね。
血で書いた手紙なんて贈られたら、絶対怖いと思うんですよ。
もしかするとその文章が
誰もお前を 気にしちゃいないさ
ただ俺だけが 殺したいほど愛している
とかだったりしたら、本気で怖いですよね。
で、怖がって泣いている「あの子」の為に、「支配人」に「俺」を出させろって言ってんじゃないかな~と。
でも、「支配人」実は妙なものを贈った事を知っているから「俺」を出させない~とか。
で、泣いている「あの子」と「舞台裏で震えている」自分自身が重なって見えて、「あの子」を自分と思った「俺」が「鏡よ 鏡」ってなって…。
わはは。勝手に話を作ってしまいました。調子に乗り過ぎました。
その2。
「俺」「お前」「おまえ」=「道化師」
「あの子」=「道化師」が恋する別人
これが、なんとなくしっくり来るパターンかなと思います。
ぶっちゃけ、最初は「あの子」ですら「道化師」だと思ってましたからね。
このパターンですと、「もう一人の自分との歌」になります。
最初のサビは、「道化師」である「俺」の素直な気持ち。
二回目と最後のサビは、「道化師」を愛するもう一人の「俺」の気持ち。
キーを「鏡」にしますと。
「あの子」に恋をする「俺」に、もう一人の「俺」が、「誰もお前を 気にしちゃいないさ」と言って、そんな「お前」を強く愛しているのは「俺だけ」となってもおかしくないような…気がします。
「名も無い道化師」である、「誰も」気にしてくれない「お前」を「愛している」のは、「鏡」に写る「おまえ」であるもう一人の「俺」。
最後のサビの「おまえは誰だ」だけ平仮名なのは、主人格の「俺」がもう一人の「俺」に気づいて問いかけているから…なのかなあ?
どちらにしろ、狂っているし、報われないのですけれど。
Cabaret
荒く処理されたピアノ音が、さも場末の「キャバレー」にいる雰囲気にしてくれる、とても不思議な曲です。
ギターの音も、「キャバレー」のいかがわしさを醸し出すのに一役買っています。
Aメロからサビへの展開が凄く好きです。
始めはしおらしいんですが、いきなり本性むきだしな具合で激しくなります。
これは、星野さんの曲です。次の「異人の夜」もそうです。
間奏部分のコーラスが、この「キャバレー」で歌う女言葉の何者か(普通に女性だと思うんですが)の悲哀を感じます。
にしても、櫻井さんは女言葉で歌ってもあんまり違和感ないですね。
キャバレーとは、本来はダンスやコメディショーなどパフォーマンスをする舞台のあるレストランやナイトクラブの事である。
パリのモンマルトル界隈ではかつて19世紀に伝説的な隆盛を見せたシャ・ノワール(黒猫)と呼ばれるキャバレーがあり、
エリック・サティやパブロ・ピカソなど、モンマルトルに住む名だたる芸術家たちの若き日の溜まり場となった。
現在もラパン・アジルをはじめ、ピアノやアコーディオンなどの伴奏によるレトロなシャンソンを聴かせる往時の雰囲気を残すいくつかの小さなキャバレー(シャンソニエ)がある。
同様にパリ郊外の川沿いにはギャンゲットと呼ばれるレストラン兼ダンスホールがあり、19世紀から続いている。
現在も年輩者をはじめ多くのパリ市民に親しまれている休日午後の娯楽となっている。
パリにはまた一方でムーラン・ルージュやリド、クレイジーホースなどのいわゆる高級キャバレーもあり、
こちらは大規模な店内でトップレスの女性が舞台上でスペクタクルを繰り広げる(ただし決して卑猥なストリップショーではない)のが特徴である。
歴史的にはフレンチカンカンが展開されたことでも有名である。
いきなりこんな事書いて申し訳ございません。
言葉は知っていても、意味が分からない事が多々ある私。
気が付くと、何でも調べてしまいます。
さて、キャバレーがどんなものであるか分かった所で、「お唄」に参ります。
今回は、最初から最後まで、ほぼ女性言葉で歌詞を書いていらっしゃいます。
楽曲の静かな部分では、弱々しくたおやかな女性。
一転して激しい部分では、言葉も荒く、本能剥き出しな状態。
曲に合わせて書いたのでしょうから、こんな風に、「お唄」を歌う「私」の二面性をうまく分けられたのでしょうね。
では、歌詞について見てみましょう。
最初と最後が同じ歌詞です。
私は今夜もお唄を歌うの 夜の底のキャバレー
当初は、幼い雰囲気を纏わせ(「お唄」と書いてあるせいだと思うのですが)、「愛に満ちたメロディ」を「上手に歌う」わけなんですが。
その「お唄」は「愛に満ちて」いるはずなのに、粘り気のある狂気を聴く者に与えようという「私」の気持ちが多分に含まれています。
粘り気のある、と書いたんですが、そう連想させたのがこの歌詞です。
吐き気がするほど甘く 毛穴という毛穴から
その後で、「滑り込み」と書いてあるんですが、サラリとした感じには取られませんでした。
中毒性のあるどろりとした「愛」。
これを「欲しいと叫べ」って命令しています。
最初の弱々しさは何処へやら。
「毛穴」で思い出したんですが、随分前に、櫻井さんが女言葉でMCをしていた事がありましたね。
雑誌で読んだような気がするんですが、そのMC中に「毛穴と言う毛穴から」という言葉が出た事があったそうです。
普通、「毛穴という毛穴から」って書くと「汗が」とか「角質が」(すみませんね)出てくるもんじゃないんですかね?
いや、「浸みこむ」でも良いんですけれど。
滑り込むんですからね。
液体ではなく、「愛」が。
もう、脳みそにダイレクトではないんですよ。
じわじわと侵食していく。そんなイメージです。
で、その後で「いつまで正気でいられるでしょうね」と来るんですが…。
挑発しています、この「私」さん。
「私の歌を聴いていつまで踊ってられるかしらね~」っていう、冷たさ。
それなのに、「時には涙を浮かべて歌うの」。
で、「愛で濡れたメロディ」。
……。
この「私」。
かなり怖い感じですが、実際問題、何を思って「お唄」を歌っているのでしょうか?
軽く考えれば、ステージで歌う回数が多ければ多いほど、お金をたくさん貰えるわけですよね?
だから、「今夜 貴方にお会いできたの 本当に私は幸せ」とおべっか使ってみたり、「貴方に見つめられたら」幸せと言ってみたり。
貴方は一人でも複数でも良いのですが、お客さん。
リピート率が高いほど、収入を増やすきっかけが掴めるわけです。
だから、「私」の歌で「貴方」を溺れさせ(「熱狂」やら「絶頂」やら欲しがらせて)ようとしている。
でも不思議なのが、「与えるより奪う」なんですよね。
歌で「愛」を与える振りをして、実際は「貴方」の理性を奪おうとしているって事でしょうか。
怖いわ。
ところで。
この「私」。本当に女なんでしょうか?
「奪う」ってかなり男らしい発想なんですが。
で、私はある説(たいしたことないんですが)を考えました。
それは、また後日。
異人の夜
こちらも星野さん作曲です。
こちらは、「Cabaret」から続く、「静」と「動」をもっと細かくした雰囲気です。
音と音の間に余白があるんですが、その余白のおかげでギターのリフの荒々しさとシンセの音による鋭い緊迫感を際立たせているように思います。
特に秀逸なのが、太いベースの音。
ピックで弾いていないと思われるんですが、それがまたイイ。
この曲に「重さ」を与えています。
淡々としているようで、実は状況は緊迫している。それを半ば諦めているかのような櫻井さんの声。
「あなたは誰、」の「だぁれ」の所が個人的なツボです。幼い感じで。
それが余計に怖いのですが。
「赤い靴」
歌詞にも登場しますが、多くの方がこの曲をご存知だと思います。
哀愁漂うメロディに乗って、「異人さん」に連れて行かれた女の子の歌です。
実際、連れ去られていったかどうか定かではありませんが、この曲では「誘拐」として扱われています。
全然関係ないですが、「赤い靴」という童話もありましたね。
かなり残酷な話だったと思います。本当にどうでも良かったな。
さて、この曲に登場する、様々な情景を思い浮かべる事の容易い歌詞。
例えば、「もう帰れないよ」の辺りですとか。
出てくる歌詞に応じて、色々と解釈出来そうなんですが、次の三つの描写から連想出来た事を、まず初めに書いておきます。
「片目の黒猫」→不吉
「夏が逝く」→季節
「月が逝く」→時間
だれかの視点で他人事として書かれてあるみたいに感じ取れたりするんですが、やっぱり最後の歌詞で「?」となってしまいました。
あなたは誰、ねぇ誰なの?
私は誰、ねぇ誰なの?
「道化師A」のフラグを立てました。
今回も2パターンです。
その1。
「誰か」=「私」
「あなた」=「僕」
最後の二行以外は、全て「僕」の思い出や諦めの気持ち、そして「誰か」に会った時の状況として考えます。
「誰か」は「僕」の知っている人物です。「私」といっているので単純に女の子と仮定します。
「誰か」が「異人」に連れていかれてから長い月日が経ち、やっと「誰か」に出会う。
「誰か」に対して、「なりふり構わず」「名前」を「呼んでくれ」だの「愛されたいんだ」だの「喚き続ける」わけですが、
その「誰か」、「僕」はおろか「私」自身すら認識出来ず「あなたは誰」に繋がる…。
ん~。凄い無理矢理ですね。
一応のストーリーとして、「僕の叶わぬ恋」って言うのを思い描いてみたんですが。
その2.
「誰か」「私」=「僕」
「あなた」=「異人」か別の誰か
季節が移っていくのを淡々と感じ、「仕組まれていた罠」であった事を認識し、帰る事が出来ない事も分かっている。
でも、本当は、「懐かしいその声」に会いたいと思っている。
すでに「僕」が何者であるか認識する事すらあやふやになってきているので、「懐かしいその声」に「僕の名前」を呼んでもらい、「抱きしめて」もらい、愛してほしいと喚く。
しかし願いは叶わず、結局自分が誰なのか分からなくなり、「私は誰」に繋がる。
あはは~。本当にわけわかんないや~。
この曲と、「道化師A」「Cabaret」は連作なんじゃないかと、突拍子もない事を考えております。
【2009年6月28日 追記】
上記三曲に対する、大変頭の悪い妄想文がございます。
連作じゃないのか?と思いついた私の書いた妄想ですが、お暇でしたらどうぞ。
BUCK-TICK妄想文「『道化師A』は『お唄を歌う』『僕』か?」
CLOWN LOVES Señorita
インストです。
「ENTER CLOWN」で使われた曲を、もっと古く加工した感じです。
オルガンの音と背後に聞こえる木の軋むような音のおかげで、また更に妖しげに聞こえます。