神田明神 銭形平次の碑 | 徒然探訪録

徒然探訪録

御訪問ありがとうございます!!ぜひ、またお越しくださいませ!!

photo:01

▲神田明神の『隋神門』。昭和天皇御即位50年の記念として建立されたそうです。

photo:02

『星月夜参り』開催中で、580基の燈明がともる夜の参拝も趣がありそうです。

photo:03

▲銭形平次の碑
野村胡堂(1882~1963)の名作『銭形平次捕物控』の主人公、平次親分が神田明神下台所町の長屋に恋女房お静と2人で住み明神界隈を舞台に活躍していたことから、昭和45年に日本作家クラブが発起人となり碑を建立しました。胡堂の『捕物控』は昭和6年『文藝春秋オール読物』に第1作「金色の処女」が発表されて以来、27年間で383編にもおよんでいます。神田明神から明神下を見守る場所に建てられ、隣には子分・がらっ八の小さな碑もあります。


■平次の住処
平次の住んでいたところは『神田明神下御台所町』とされており、現在の外神田2丁目付近、神田明神より秋葉原方面に少し下ったところ、JR中央線御茶ノ水駅から神田川・聖橋と湯島聖堂から北北西へ400mくらいのところにあたるようです。『鰻の神田川』の近所と設定されていて、外神田2‐5‐11に『明神下 神田川』という鰻屋さんが今でもありますが、こちらは文化2年(1805)創業という200年以上の歴史を持つ老舗です。部下のがらっ八こと八五郎の住まいは向柳原で、JR浅草橋駅の近くにあたります。この辺りは永倉新八の生家があった近くで、平次と八五郎の家との行き来は徒歩で20分程度になりそうです。

■平次の姓の由来は建築関係の会社の名前だった
野村胡堂は文芸春秋から『岡本綺堂の半七捕物帳のようなものを』との依頼を受けましたが、中々構想を練られず、悩んでいました。平次という主人公の名前は決まったものの、良い姓が思い浮かびません。そんな時彼の目にとまったのが、『設計 施工 錢高組』の看板です。主人公の平次に『水滸伝』の中に登場する小石投げの名人のようなワザを持たせたいと思っていましたが、『錢』にヒントを得て投げ銭に決まり、名前は「錢高」の「タカ」を逆にして「ゼニカタ」にしました。錢高組は昭和6年に株式会社となりましたが、銭形平次の第一作が発表されたのも同年です。錢高組は平成7年6月に胡堂氏の出身地である岩手県紫波町に音楽評論家「野村あらえびす」としても著名な胡堂の業績を同町が顕彰しようと建設した「野村胡堂・あらえびす記念館」の施工も担当しています。