山崎貴監督の最新作「ゴジラ-1.0」を公開初日に観てきました。
例によってダンナ同伴。
彼は、筋金入りのゴジラファン。
なので、11月に入った時からソワソワうずうずしていて、この作品は絶対公開日に観たいと決めていたようです。
今回は、映画館で特報を見てすごく気になったという、息子も一緒。
親子3人での鑑賞となりました。
この面子で、庵野監督の「シン・ゴジラ」も鑑賞したんですが、当然ですが全く趣きが違います。
どちらもエンターテイメントでしたが、「ゴジラ」の表現が違うと存在感すらも変わるのかと驚きました。
庵野ゴジラは、何を考えているのか分からない不気味さがありましたが、山崎ゴジラは、むき出しの「怒り」をビリビリ感じさせる、ものすごく「怖い」存在でした。
とにかく、ゴジラの出現が早かった。
主人公は、特攻隊員に選ばれながら、機体故障を言い訳に戦線離脱した海兵・敷島。
整備のために着陸した大戸島(おおどしま)で、伝承の怪物「呉爾羅」に整備兵と共に襲われるという展開でした。
このゴジラ、最初からすごい狂暴だった。
ゴジラに人がくわえられて、投げ飛ばされるシーンなんて初めて見たから、これだけで背筋がゾッとした。
この時、敷島は初めて見る怪物に恐怖のあまり何もできず、襲われて気絶しているうちに部隊は全滅させられてしまっていた。
部隊の隊長さんに、戦える力を持っていたのに何もしなかったことを攻められ、恨まれます。
復員しても、生家は空襲で焼け落ち両親は死亡、隣人で一人生き残った澄子に、特攻隊員だったのに生きて帰ってきたことを「恥知らず」と罵られます。
主人公、精神的にボロボロ。
そんな中、赤ん坊を抱えたヒロイン、典子と出会います。
典子も家族を失い、連れている赤ん坊の明子も、空襲で焼かれた母親から託された、血のつながらない子供。
天涯孤独となった3人は、身を寄せ合って暮らすことに。
そういえば、隣の澄子さんも、3歳の子を含めた家族を空襲で失った人。
周りはみんな亡くなったのに、自分だけが生き残ってしまったという負い目や、悔しさ。
行き場のない思いを、皆抱えて生きている。
その負い目に、押しつぶされそうになっているのが敷島。
ゴジラに襲われた夜のことを、度々夢に見て苦しみます。
神木君の、この追い込まれる演技がすごかった。
実際、かなり自分を追い込んでいたそうで、これ以上追い込むと精神疾患になるから、演技でいいとなったらしい。
役者って、すごいな。
浜辺美波さんが演じる典子は、火に巻かれる両親の「生きろ」という遺言を胸に強く刻み、何があっても絶対に生き延びなければならないという信念を持つ女性。
兵士と民間人、男性と女性という違いはあるけれど、「生」について受け止め方が違うのは印象的。
やっぱり兵隊にとられた男の人は、「お国のために死ぬ」のが当然と教育されてきたせいもあるかも。
作品のテーマが「生きて抗う」ですので、登城人物たちは様々な苦悩や恐怖に抗っています。
その最たるものが、ゴジラ。
機雷の掃海船の仕事についた敷島は、その仕事中再びゴジラと遭遇。
アメリカの原爆実験で被ばくしたゴジラは以前に比べ巨大化し、体内に取り込んた放射能物質によって、熱線を吐くように進化していました。
「誰かが貧乏くじを引か無きゃならない」
政府に与えられた任務で、回収した機雷と自前の機関砲だけでゴジラと対峙する事になった敷島たち。
今回は、ビビることなく立ち向かう敷島。
外からの攻撃にはビクともしないゴジラ。
だったら機雷を食わせて爆発させれば…
この作戦はアタリだった。
一旦、ゴジラを退却させることに成功したものの、政府はゴジラのことは非公開にする事を決定。
ここの政府は統治下にあるとはいえ、本当に「何もしない」。
この情報によって引き起こされるであろうパニックの責任を取りたくないんだという。
そうこうしているうちにゴジラが上陸し、戦後復興のシンボルであった銀座が破壊されます。
銀座で働いている典子が乗る電車がゴジラに咥えられ、車両に取り残された典子が落ちそうになるシーンはハラハラした。
ていうか、ゴジラの破壊シーンがとにかく恐ろしくて、内心「もう止めてくれ」と思いながらボロボロ泣きながら見てました。
これまでの映画は、どこかちょっと離れたところで破壊シーンを見ているような感じでしたが、今回は臨場感があり過ぎ。
巨大生物に押しつぶされそうな恐怖、崩壊される建物と一緒に飲み込まれる人物たちの悲鳴。
ゴジラの吐く熱線の爆風で吹き飛ばされるシーンなど。
とにかく背筋が震えるほどの恐怖の連続でした。
大混乱の銀座で、呆然とする典子。
それを助ける敷島。
家のラジオでゴジラの銀座襲撃を知ったはずなのに、あのパニックの中で彼女を助けるなんて、ヒーローそのものじゃないかと秘かに突っ込み。(笑)
しかしそのヒーローは、助けに来たはずの彼女によって爆風から守られ、また、大切な人を失う事に。
予告映像にあった、敷島の絶叫が怨嗟の声だと、劇場でしみじみ納得しました。
そしてよいよ、全く動かないというか動けない政府に替わり、民間主導でゴジラ討伐隊が編成されます。
参加するのは全員元軍人。
全て現場にゆだねられる無政府状態の発想は、コロナ禍で生まれたものだとか。
パンフレットを読んで、ああ、なるほどなあと思いました。
敷島は、作戦立案者で同僚の野田博士に頼んで、戦闘機を用意してもらいます。
本土決戦に備えて開発されていた「震雷」。
しかし、放置されていたため、かなりのオーバーホールが必要。
機体整備のため敷島が白羽の矢を立てたのは、大戸島の整備隊にいた橘。
行方知らずの彼を自分の元へ来させるために、敷島は彼を怒らせる手紙をかつての橘の同僚たちに送り付けます。
自分を恨んでいる人物と、あえて一緒に戦おうと誘う場面と、彼が1人で考え実行している作戦に、敷島の優しさと絶望を感じました。
もうね、後半部分の神木君の表情は、「神木隆之介」じゃなくて「敷島浩一」なの。
何かにとりつかれた人間の、鬼気迫るような思いつめた顔。
こんな演技のできる役者になったんだなあ。
ゴジラ討伐作戦は、ハラハラの連続。
ゴジラの背びれが一つずつ青く発光するたび、(ひやーっ、来る、来るよ。ゴジラが火を吐くよ。怖いよー。)とブルブル震えてました。(実際、歯がガタガタ鳴って悪寒がした)
最終的に敷島の作戦が成功し、ゴジラは海の中へ沈みます。
彼も、橘の配慮で生き残りました。
そして、死んだと思われていた典子も、大けがを負ったものの生きていたという大団円。
誰も死ぬことなくエンドを迎えるというエンディングには、ダンナも息子もハリウッド的という評価でしたが、「生きて抗う」がテーマですので、登場人物が全員生きているというのは必須条件ではないかとも思いました。
それにしても神木君、今回は大声で泣いたり叫んだりする演技が多かったね。
この感情む
きだしの演技は「抗う」というテーマにとてもマッチしていたと思います。
格好つけてちゃ、必死さ伝わらないもの。
エンドロールの最後の方で、ゴジラの足音が響き渡り、咆哮が轟いて終幕となります。
劇場で鑑賞の際は、最後までじっくりご覧になることをおすすめします。
あなたも、ゴジラの恐怖に慄いてください。