今年の夏はいつになく充実していたような。
山登りと読書の相性が良いせいかな。
ゆっくり考える時間もある。
読もう読もうと思いながら忘れていたいくつかの本を読みきる事ができました。
◯立花隆「宇宙からの帰還」
◯ライアル・ワトソン「アフリカの白い呪術師」
◯村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」
◯池内紀ほか「ちいさな桃源郷」
特に上の2つから受けた価値観の揺さぶりはどうにか言葉にして残したいと思ったのだけど、うまくいかない。
それぞれアプローチは違うけれど、無宗教(有神論ニュアンスの不可知論)の私が「神」について再度考えるきっかけになった作品でした。
こういう話題を話し合う事って日本ではまず無いような。
だからか各宗教の概要を知るのみで、それはいつも自分から距離のある話で。
しかし、「宇宙からの帰還」の立花隆さんのインタビューよると、アメリカトップクラスのエンジニアである宇宙飛行士が宇宙で神の存在を確かに感じた、と言うんだと。
このギャップについて各人の見解が語られており、その経験から宗教家になる人、超能力研究所を作る人、政治家になる人、、、。宇宙飛行士はもとよりエンジニアという人々でさえ私からしたらかけ離れた人達だけれど、理系の理知的な人から語られる、神の存在は不思議と自分も体験したような、理解できるような気がしてしまう。
アメリカの宇宙開発事業の淡々とした記録と思って読み始めると頭揺さぶられます。笑
(有名な著作だからそんなことは少ないかな)
「アフリカの白い呪術師」はイギリス人青年がアフリカの部族に受け入れられ呪術師として敬われるにいたる実話。
彼と現地の人の交流によって解明される後進とされていたアフリカ文化、歴史が実は科学の進んだ現代と実際は変わらないなのでは、というもの。
アフリカ人の自然への信仰、精霊信仰は日本人にも受け入れやすい。(たぶん)
日本だったら神頼みだとか、運だとか、偶然と呼ぶような非科学的儀式を、アフリカの民族は系統立てて行なっている。
例えば、雨を降らす儀式を何日も続けることで、雨が降った。やらなかったら雨は降らなかったかもしれない。
その関係性を否定することは出来ない、と私は思うし、この部族はここに至る自然の経過から、儀式を行うべきだと考えているのであって、我々が天気図を見て天気を予想するのと結局同じ事をしている。
その受け取り方が違うだけで。
占いで無くしものは見つかるし、諍いも解決できる。
自然現象を解明して名前をつけて安心している現代人は、まだ名前のないもの(今後も科学では解明できないかも)を否定してしまいがちであるだけ。
どちらの著書もこの科学技術の時代になにを、という話に思えるが、はやり人間の知覚できるものを超えた存在はあると思って良いんじゃないかな。
見方を硬くしてしまうのは、もったいない。
知ることが出来ること、見ることが出来ることは限られているけれど、興味があるなら広げていくのは楽しいです。
そうそう、どこかの社長じゃないけど、ここに登場する宇宙飛行士のように精神的インパクトを感じるのなら宇宙行ってみたいかも。
と夢を膨らませながら、地に足をつけてヒィヒィ言いながら登った北アルプス。(突然)
その気持ちとたまたま帰路のバスで読んだ村上春樹さんの走ることに対する気持ちが似ていて、タイムリー。こういう偶然、よくあります。
ほんと、なんでこんなに苦しい思いをしながらそんなことを?と思う。
早くゴールしたいという彼の気持ち、まさに私の早く下山したい、お風呂!布団!!とだけ考えている下山の終盤と一緒。
でも終わるとまた次の山の事を考えている。
(自己分析としては課題クリア感が良いんだと思っていますが。)
北アルプスの壮大さ美しさはとてもとても良かった。
フィルム写真が戻ってきたらそのこと記録にしておきたい。
でも、里山ののんびり登山も好きだなと改めて思ったり、片方の経験だけでは知り得ない事。
「ちいさな桃源郷」は山のテントでごろごろしながら読むのにぴったり。
この山行ってみたいなと思ったり、あ、行った山だ!と、別の視点からのエッセイに新しい楽しみ方をみたり。
まだ気になる本があるので、山とともに楽しむことが出来そう。


