年末の大掃除、まだ終わりません。

普段手に付けないような物にも手を出しているので、余計に。

重い腰を上げて、五月人形を捨てる準備をしていました。

正月明けに持ち込みで処分する予定。

 

実家に置き場がないからと譲り受けたもので、押し付けられた形でしょうか。

何故か飾る棚が無く、押入れを半分以上圧迫する代物。

人形達に罪は無いけど、収納場所同様に私の心を圧迫していた。

子どもの頃、何も知らずに親戚達に囲まれ、当たり前のように祝ってもらえて。

孫達を想い、お雛さんと共に祖父が張り切って買ってくれたものだ。

曾祖母が亡くなるまでは、一つに纏まっていて本当に幸せだったんだよ。

そういう思い出があったから、躊躇していた。

 

父から邪魔だからと受け取った物。

父の心は軽くなったけど、私には重く好きになれなかった。

そもそも五月人形って、身代わり人形なんだって。

お下がりNGとあったりするけど、それは商売上の話かもしれない。

代々引き継いでいけば、その家にとっては守り神でもある。

処分したかった私は、お下がりNG説の方を信じる。

 

久しぶりに箱を開けてみると、飾る代物じゃなかったよ。

まるで衰退した生家そのものだった。

あぁ、そうだね。私が断ち切らないといけないね。

大きな箱に纏められるだけ纏めて、塩でお清め。

 

さて、次。

これは義母に押し付けた。

神棚に飾ってある御神鏡(?)をどうするか。

生家に神棚が無かったので、知識は全く無い。

精神的にガタガタになった後、私がお世話をすると決めた。

信仰心は無い。ただ目に入って不快だったのよ。

 

お世話するまでは、枯れた榊や曇りに曇った御神鏡。

誰1人手を合わせてないから、私も無視してましたよ。

世話もまともに出来ないなら取っ払ってしまえ!って、ずっと思ってた。

 

御神鏡は磨いても綺麗にならず、禁断のピカールを使いました。

それはそれは綺麗になりましたよ。途中までは。

どんなに磨いても、染みみたいなものは取れず。

 

さて、これを周りが見てどう思うか。

訪問した家がこんな御心境を飾っていて、その家に不幸があったら『呪われてる』とか思ってしまいそう。信仰心は無くてもそういうのだけ敏感です泣き笑い

 

その御神鏡なんですが、裏面を見ると人名が彫られていた。

御神鏡だと思っていたものは、“霊璽(れいじ)”と呼ばれるものらしい。

仏教でいう位牌に近いものだとか。

戦争中に亡くなったご先祖さんという事で、すでに50年以上経っている。

もう処分していいんじゃない?

 

義母に「〇〇さんって亡くなってから50年以上経っているよね。

処分出来ないなら、表面を直すなりしてほしいんだけど。」

義母、これが裏面に人名が彫られている事すら知りませんでした。

私が嫁いでから、いや嫁ぐ前から一度も磨いた事が無かったのか。

この家にとっての神様って、その程度なんよ不安

 

「処分ってどうしたらいいの?罰当たりそう・・・

周りに聞いてみないと」とかウダウダ言ってましたが、

「自分ですら分かってないものを、次の代へ押し付けるの?

捨てたら?って言ったのは私だから、呪われるのは私じゃないですかね!むかっ

 

自分にとって都合の悪い事は知らんぷり。

無責任で嫌な事だけ人に押し付ける。

旦那も全く同じ。

旦那が自ら神棚に手を合わせたところなんて、見た事ない。

子どもにも「お父さんはしてないよ?」と言われて、本当にしんどいわ。

 

この家に神も仏もいなくていい。

罰当たりと言われても、お世話がまともに出来ないんだもの。

はいはい、私がこの家の悪の元凶です真顔

呪いたきゃ呪え。