SNSなどでよく炎上しているテーマの1つが子供について。
『バスに乗った子供が泣き出して知らないおじさんにうるさい!と言われた』
そのようなエピソード。
これに対して
『ひどい!最低!』
『だから子供を産めない』
『自分も子供の時代があっただろ』
『子は国の宝だ』
など批判が出ます。
私も一発目に感じるのはその感情です。
だけどただSNSで見ただけの数十文字の言葉を読み取っただけではその場の情景はわからないわけで・・・
冷静に考えて想像してみると、本当に一方的におじさんを否定していいのだろうかとも思えるのです。
もしその現場に自分もいて、子供が泣いている・・・親はスマホを見て気にしていないという情景だったら?
子供がもしわがままではなく、とっても眠くて仕方がない時間で、親に抱っこをせがんでいるのにママ友とのおしゃべりに夢中でムシしている状態だったら?
おじさんは本当は優しい口調で『スマホを見ていないで子供を見てあげて』っていう言葉だったら?
まったく感じるものが違ってきますよね。
心理学を学んでから、できるだけフラットに物事を見るように癖づけるようにしています。
上記のようなお話も、極論子供だったら何をしても許されるのか?というもの思うのです。
元気に走り回っているくらいが子供らしくていいという考えの子育てをしている親御さん。
一見素晴らしい考えだと思いますが、時と場合によると思うのです。
どの場所でも元気に走り回っていてもOKなのか?という事です。
電車の中でワーワーギャーギャー騒いでいる子を『公共の場では静かにしなさい』と躾けるのが親の役目だと思います。
そして、世の中には子供が苦手だという人もいるという事を理解しておく必要があります。
『子は国の宝』というけれど、苦手な人もいるのです。
公共の場では、その方達への配慮も必要だという事です。
要は、親御さんは周りの人への配慮が必要で、周りの方はお子さんを見守る必要があるという事だと思うのです。
この寄り添う形が成立してこそ優しい世の中になるのだと思います。
これがどちらか片方が寄り添い方が甘かったり、寄り添いすぎるとバランスを崩してしんどくなっちゃうんです。
私は親の立場になって、周りの人の目を気にしすぎ、子供に眼を配りすぎ、怖くて電車やバスに乗れなかった人間です。
それと同時に私は子供が苦手です。
だからどの立場での気持ちも良くわかります。
片方の感情しか理解できないと寄り添う角度が甘くなっちゃったり、相手がもっと寄り添えばいいのにと相手に求めてしまいます。
本当にバランスが大事なんですよね。
子を産んだから偉いわけでもなく、子がいるから気を使うべきと思うのも違うし、子供が騒いでいても当たり前と思うのも違うし、子供は可愛いと思わなければいけないというのも違う。
自分は自分、自分らしく生きようとかキラキラな言葉に惑わされないで、いろんな人がいていろんな気持ちがあり、それを理解しようとする心が大切ですね。
もっとみんなが理解しようと寄り添える社会になって、優しい世の中になるといいですね。