十人十色世の中にはいろんな人がいます。

自分の感覚と全く違う人、正反対の人、よく似ている人、自分には持っていないものを持っている憧れの人・・・

本当に人の数だけ異なります。

親しい友人や身内にしても、『この部分はわかるけど、その部分は理解できない』などあると思います。

そんな時あなたはどうします?

どうしても理解できない考えや行動をしている相手。

『私はそうは思わない!こうした方がいい!』と熱弁します?

『あぁ合わない=嫌い』ってシャッター閉めます?

『絶対私の考えが正しい!』って心でフスフスと思いながら黙ってます?

 



昔の私上に書いたような気持ちでいっぱいでした。

なんで?私は正義!あなたの考えは間違えている!

と、まるで弁護士かのような位、正当だと自分を疑ってなかったと思います。

その時の私はどんな心理状態だったのでしょうか?

おそらく承認欲求の塊で、自分が優位に立ちたい。と思っていたのでしょう。

そして何より、自分の歩んできた道は間違いではなかったと言い聞かせていたのだと思います。

だけど、本当にそうでしょうか?

自身がいい人生を歩んできたと思う道は、果たして他人が同じ道を歩んでもいい人生だと感じるのでしょうか?

そこを勘違いしていたのでしょう。

そして、理解できない相手のことを人格を否定するほど拒否する必要はなかったと気づく必要があったでしょう。

大切なことは≪わかろうとすること≫そして≪わからなくても静かに見守る≫こと。

男性の同性愛者やお化粧をすることがどうしても理解できずにとある芸能人がテレビに映る度に『気持ち悪い』と、私の身内が何度もいう時があったんです。

女性の同性愛者は気持ち悪いと思わないのに、なぜか男性の場合は気持ち悪く思うと。

それを聞くたびに、私はとても不快でした。

人を好きになることを気持ち悪いとはどういうことだ?!
そして、化粧をして自分が美しいと思うのをなぜ否定する?!と。

そして、『気持ち悪いというのをやめて』とお願いしました。



すると『理解できない人間もいるということを我慢しなくてはいけないのか?』といわれました。

違います。

我慢をしろと言っているわけではなく、私は、口に出して言わないでということを言いたかった。

自分自身、容姿をみて例えば『デブで気持ち悪い』と言われたらどう思う?

ただただ悪口だし、人様に迷惑をかけているわけでもないのに否定するのはおかしい!とならないか?ということである。

理解できないのであれば、ただ黙っていればいい話である。

そしてそれが芸能人であるならば、TVに出てきたときに見なければいい話である。

身内は身近にそんな人がいないという人が現れた時の拒否感が大きい。

自分の周りの人なんて本当に限られた数です。

世の中にはいろんな人がいます。

日本で常識だと思う事が、海外では常識ではなかったり。

結局、自分は自分で良いと思える行動をすればいいし、いいと思えるファッションをすればいい。

だけど、他人にまでそれを強要したり、違う事をしている人に対して拒否をすることは決してしてはいけないことだと思うのです。

もっと、もっと、寄り添ったり。わかろうとしたり。見守ったり。そんな思いやりが増えるときっとやさしい世界になると思うのです。