探していたものが次々と見つかり始めている気がします。
これまで私がスピリチュアルなこと(セミナー・セラピーなど)を
意欲的に学んでいた理由のひとつは
『大切な人をサポートしたい』という想いがあったから。
でも、意識が変化し始め、枠を手放して行く過程で
それは『言い訳』だったことに気付きました。
自分は自分がただそうしたい(楽しみたい)から学んでいるだけだと。
そもそも『学び』という呼び方で誤魔化して来ただけで
自分にとってセミナーやセラピーは幼い頃に夢中になった
おままごとや鬼ごっこのような『遊び』と同じ。
でも大人は正々堂々と遊んで楽しんではいけない(はずだ)と
色んな理由(付加価値)を無理矢理探して言い訳しながら
こっそり遊んでいたんだと。
それに気付いてから、
それまであった『学ばねば!(学ぶフリして遊ばねば!)』という
ガツガツした想いが薄れ始めました。
それはセミナーやセラピーが無駄だとか
得るものがなかったとか、、そういうことではなくて
セミナーやセラピーじゃなくても
自分が夢中になって楽しめる『遊び』ならどんなのもでも
セミナーやセラピーと同じように『学び』というか
『必要なもの』『大切なもの』が、そこから見つかると分かったのです。

そのことに気付く迄は、大切な人の心に見える隙間を埋められるものを
セミナーやセラピーの中で見つけようと必死に探していました。
そしてセミナーやセラピーという新しい知識や技術を得ては、
それを活かそうと試みていました。
でも、自分がどんなに素敵で素晴らしいものだと思って差し出しても
相手の心には思った程響かないし、時には拒否されたりもしました。
そんな反応にショックや不満を感じつつ、、
でも次こそはと、また新しいものに挑む。。
そんなことを繰り返していました。
でも『遊び』だと気付いてからは、
そういう変な『気負い』もなくなっていって…
そしてある日突然
探していた『心の隙間を埋めるもの』が見つかったのです。
それはセラピーやセッションなんて全然関係ない
対話の中で私の口から発せられた単純な想い(言葉)でした。
そんなこと?と思えるくらい、本当にささやかな想い。
『当たり前』で片付けていたこと。
本当に衝撃的でした。
今迄何やってたんだろうと。
勿論、今迄の過程があって、今がある、、とも思うのですが、、
夢の世界から抜け出して、やっと実体を持って、丸ごとの私で
相手に触れられるようになったのかなと感じます。
そして、知識や技術としてのセラピーやセッションで
思った程の効果が出なかったのもある意味当然なのだと思います。
何故なら相手は『ヒーラー』や『セラピスト』として
『私』を求めているのではなく
ただ『私』として側に居て欲しいだけなのだから。
心の深い問題をセラピーでどうこうしたいなんて気はさらさらないわけで。
これまで長々と
私の『学びのフリ遊び』に無理矢理付き合わせてしまっていたのだなぁと、、
ちょっぴり申し訳ない気持ちです。
(相手からの「ちょっぴりだけかい!」というツッコミは確実)