コース2日目です。
参加前は、コース中ずーーっとめそめそしてたらどうしようって心配でしたが
そんなこともなく、平和に過ごしています。
というかね、わたしは、めそめそし始めると蛇口の壊れた水道になるから
さすがに4日間それは辛いとびくびくしてました。
あと2日残ってますが、なんとか乗り切れると信じます。
今日の内容は講義よりワークが中心で、楽しかったです。
手放しのプロセスを歩いてみたり、4本セレクションから手放しとの関係性を見たり
手放しに必須のスペースを与える、受け取るを体験してみたり。
マイク氏の説明にもありましたが、手放しは観念や概念をもてあそぶのではなく
実践してなんぼなんだなぁと、本当に、つくづく、しみじみ実感しました。
手放しのプロセスを実際に行ってみると、
ワーク前とワーク後で全然自分の内側の感覚が違っているのがわかりました。
ワーク前は、置いていかれるさみしさがぐわーっとわき上がったり、
「行かないで~」って寛一お宮みたいなすがりたい気持ちがありましたが
ワーク後には「行ってらっしゃーい」「おかえりなさ~い」みたいなノリで
我がことながら、笑えてきました。なにこの、使用前・使用後、みたいな。
むしろ、B91に到着したときは、還りたくなくて、ずっとそこにいたかった。
「え? あの世界に戻るんスか?」って。
競争ではありませんが、手放したモン勝ちって気がします。本気で。
さっさと手放したほうが、軽いし、楽になれるんだなぁって。
それと、手放しって、手放す対象がわかんなくてもいいんだなってことも、新しく発見。
もちろん、自覚的に意識的に手放す必要があることもあるし
「手放すぞっ!」て手放すことも、とても意味があると思います。
だけど、「なんかよくわからんけど、とても苦しい」ことの正体を
探して探して、トラウマとか過去世とかほじくりかえしたって
原因がわかんないときはわかんないもんです。
もしかすると、自分のものじゃないときだってあるかもしれない。
そんなときに、深い呼吸をしながら、ただ出ていくままに任せる。
理由も何もわからないけど、自分にとってもう必要でなくなったものを
ただ手放すがままに任せる。
そういうことがあるってことも、体験させてもらいました。
これは参加者が大人数だからこそできるワークなんだろうな。
それから、ワークが進むにつれて自由は目の前にたくさんあることがわかりました。
あっちこっち探してたけど、思いっきり目の前にあった。うむ。
あとは、「手放す」を書き換えてきました。
いや、わかってましたよ。手放すってことにはスペースが必要だってことは。
そんなのね、オーラソーマじゃなくても、あっちこっちで言われてますよ。
だけど、やっぱり「頭」でわかってた、でした。
「手放す」ってことを、どこかで「えいやっ」て投げ捨てるというか
隅っこに追いやる、目の前から消し去る、そんなふうに理解してたんですよね。
(うわー、もろレッドのテーマだわ~)
だけど、「手放す」という字を見てくださいよ。
「手」を「放す」ですよ。文字通りですよ。そのまんま。
手を放せばいいだけのことなんです。
そして、手を放すにはスペースが必要なんですね。
ふうって息を吐いて、肩の力を抜いて、スペースを用意して
それでようやく、手を放せるんですよね。
それでいいの? って不安がむくむく出てきましたが
それでいいんですよ。
手を放して、握りしめていたものがなんなのか見てみる。
その上で、必要なら、もう1回、握りしめればいい、抱きしめればいい。
必要ないなら、そのとき初めて、自分の内側から溶けていってもらえばいい。
もちろん、何もしないで、そこに置いておくってのもありです。
べりって引っぺがしたら、そりゃあもう痛いし
そもそもかさぶたは必要があって傷を覆っているわけだから
そこを無視してはがしたら、また大出血するわっ!!
ということで、そんな感じの2日目でした。
よしなに、よしなに。