昨日朝、たまたま海老蔵さんのブログを見て

何か嫌な予感。

昼前に速報で、小林麻央さんが亡くなられたとの速報が流れ、、、

色々と考えさせられた一日でした。

 

先日より何度か、私の身の回りで大きな出来事があったと書きましたが、

じつは今月に入ってから私の父も旅立ちました。

 

60代でしたが、60代でさえ私は「早すぎる」と思いました。

 

その点、麻央さんはまだ34歳。

愛する夫や、幼い子供2人、ご両親より先に旅立たれる悔しさは

いかばかりだっただろうと考えます。

海老蔵さんだってほんとは舞台休んでずーっと傍にいてあげたいだろうに。

そのプロ根性に頭が下がります。

 

心よりご冥福をお祈りします。

 

麻央さんは、

自分の生きざまで多くの人に「愛とは?」「生きるとは?」を問いかけた人かな、と思います。

 

最後に「愛してる」と言って旅立つって、

そんなふうに旅立てる人ってどのぐらいいるんでしょう。

 

IMG_20170620_191607463.jpg

 

ここからは父の話になりますが、

父は3年前に難病を発症し、医師から去年余命を聞いたあとは

(本人には告知はしないほうを私たちは選択しました)、

なるべく実家に帰って一緒に検査に付き添ったり、

最後まだかろうじて動ける最後ギリギリの頃(今年の春)には

贅沢な食事に両親を連れて行ったり、

(まだまだ元気だった数年前には両親を神戸旅行にも連れて行ったな。)

なるべく私が出来うる限りの事はやろうと思ってやってきたつもりでしたが、

それでも九州と千葉なのでやれた事はほんとに少なかったと思います。

 

ただ、やり切ったとまではいかなくても

「やれる事はなるべくやれた」という思いはあるし、

私の死生観というか、

「また会えるから」と思ってるところがあります。

 

5月に長期で帰っていて、どうしても千葉に戻らないといけない用事があり

一旦戻るね、と言って千葉に戻った5日後に容体が急変し亡くなったのですが、

その一旦千葉に戻る日、病室で父と二人きりになった時に

(父はその日はあまり意識がありませんでしたが)手を握り

「今までありがとう。お母さんの事は守っていくから心配しなくていいよ」

ときちんとお別れができた事も良かったと思っています。

 

父の手を握ったのって何十年ぶりなんだろうと思って泣けましたが。

 

書くとすごく長くなりそうなぐらい、

過去に、父とは深い深い長い確執がありましたから、

後悔がないといえば大嘘になります。

 

もっとああしておけばよかった

と思う事は多々あります。

 

が、私がどう思うかはとりあえず置いといて、

「生きたように死んでいく」

とどこかで聞いたこの言葉は、確かにそうだな、と思います。

 

だから一日一日をどれだけ「込めて」生きられるかなんでしょうね。

 

最後の数日、

もう意識がどこかにいっていて訳のわからない事を言うからそれがかわいくて

場を和ませてくれているようで、家族皆で穏やかに過ごすことができ

父がつないでくれたこの家族にほんとに感謝できた数日でした。

 

 

生きるとは?

死ぬとは?

を考えた一日でした。

 

では、おやすみなさい。