Torn Curtain (1966米)
監督: Alfred Hitchcock
出演: Paul Newman Julie Andrews
邦題: 引き裂かれたカーテン
評価:
ヒッチコック監督の50本記念作品。
「引き裂かれたカーテン」=「鉄のカーテン」、つまりベルリンの壁
Torn Curtain (1966米)
監督: Alfred Hitchcock
出演: Paul Newman Julie Andrews
邦題: 引き裂かれたカーテン
評価:
ヒッチコック監督の50本記念作品。
「引き裂かれたカーテン」=「鉄のカーテン」、つまりベルリンの壁
Guess who's coming to dinner (1968米)
監督: スタンリー・クレイマー Stanley Kramer
出演: スペンサー・トレイシー Spencer Tracy
キャサリン・ヘプバーン Katharine Hepburn
シドニー・ポワチエ Sidney Poitier
キャサリン・ホートン Katharine Hougton
邦題: 招かれざる客
評価: ☆☆☆☆
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黒人差別反対を唱え続けてきた新聞社社長マット(トレイシー)。だが彼の娘ジョーイ(ホートン)が
結婚したいと突然連れて来た相手は、結婚歴のある(8年前、列車事故で妻と子供を亡くしている)
黒人医師ジョン(ポワチエ)だった。おまけに彼らは出会ってまだ10日目。そして、その夜には仕事で
発たなければならないので、夕食時までには結婚に賛成か反対か決めてほしいというのだ。
(ジョンが。ジョーイは両親が当然賛成してくれるものと信じて疑っていない)
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このジョン、マットに「どこで開業を?」と聞かれると「開業はしていず、ここ3年ほどはアフリカで
熱帯医学を研究して…」と答えているのだが、調べるとジョンホプキンス大学を主席で卒業、エール
医大の助教授を経てロンドン医大で熱帯医学の教授を勤め、ついでWHOの副理事に就任。著書
論文は多数… という、絵に描いたようなエリート。
まあ、知り合って、たった10日目の相手がどこの馬の骨ともわからない…という感じだと、別にそれが
白人であったとしても、親なら反対しておかしくないし。。。
あくまでも、この二人の間の障害は人種だけ、という設定なのだ。
マットはいままで、人種差別反対を唱えてきた立場だっただけに、結婚に反対する自分自身の気持ちに
苦悩するのだ。妻クリスティナ(ヘプバーン)は「肌の色で人を差別するのは間違っていると教え育てて
きたのば私達だ」と…。(でも彼女も、娘の結婚を祝福してはいるものの、衝撃は大きい)
マットにとっては「これからの二人が白人社会からも黒人社会からも風あたりが強くなり、苦労する」という
ことの他に「生まれてくる子供達が差別される側にまわってしまう」ということも大きなショックなのだ。
そして、ジョンの両親にとっても、この結婚は衝撃なのだった。ジョンの父も「この結婚を許すことは
分別のある者がすることではない」と思っている。
この映画は私の生まれる少し前の作品。
40年近くたった今、その状況はどう変わってきているのだろうか…。
最後、ジョンがマットにドアを閉めるよう言ったり、「私と顔を合わす勇気がなかったようですね」と急に
尊大な態度になるところが、ひっかかったが
(お嬢さんと結婚させてくれと「突然」来たくせに、例え彼が白人であったとしたってそんな事を相手の
親に言うのはあまりにも失礼。…差別される側の虚勢か自尊心か。しかも両手をズボンのポケットに
突っ込んだままの発言。アメリカではポケットに手をいれたままというのは無作法ではないのか?)
それまでは思慮深い人物として描かれているし、結末はみえていたけれど面白く見れた。
邦題も良い。
Suddenly,last summer (1960年英米)
監督: Joseph L . Mankiewicz
原作、脚本: Tennessee Williams
出演: Katharine Hepburn 、 Elizabeth Taylor 、 Montgomery Clift
邦題: 去年の夏 突然に
評価: ☆☆☆☆
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Cannibalism…?! 予備知識無く観たので、びっくり。
Elizabeth Taylor の熱演とKatharine Hepburn の変さ(ゴンドラに乗って現れたりする)に
最後まで飽きずに観ることが出来た。
原題をそのまま訳したような邦題も、ミステリアスな雰囲気で惹かれる。
(last summer の last は、去年というより、「このまえの」というニュアンスか?)
事故で顔が動かなくなってしまったMontgomery Cliftが哀しい。。。
The Taming of the Shrew (1967 米/伊)
監督: フランコ・ゼフィレッリ
出演: マイケル・ヨーク エリザベス・テイラー
邦題: じゃじゃ馬ならし
評価: ☆☆
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パプティスタの娘、キャタリーナとビアンカ。清純な妹ビアンカにはホーテンショー、グレミオ、そして
ルーセンショーという求婚者がいるが、バプティスタは姉が結婚するまで、妹の結婚は許さないという。
そこにあらわれたのがペトルーチオ。「金持ちの女房が欲しい」という理由だけでキャタリーナとの結婚を
強引にすすめ、まあ、結婚式に変な格好してくるわ、家に帰っても食べさせないわ、寝させないわ、月を
太陽だと言わせるわ、老人を乙女と言わせるわ、して、従順な妻に仕立てあげていくという。。。
キャタリーナも、最初の荒れ狂いぶり(そこからして理由は不明)から、どういう心境の変化があったのか
すんなり結婚を承諾し、その後の彼の横暴ぶりを目の当たりにして「こんなきちがい男の言う事に逆らった
りしたら、どうなるかわからない。ここは彼をよいしょして、何でも彼の言うとおりにしておいたほうが身の為
だわ」と思ったのかどうか、とにかく従順さをアピール。 ※注)あくまでも映画から受けた印象
エリザベス・テイラーのエジプトの壁画かと思わせる目の縁取りと、髪ぼさぼさで荒れ狂う前半が印象的だった。。。
個人的には、妹の求婚者、ルーセンショーが、家庭教師に扮して彼女に近づき、外国語の文章を訳すと
みせかけて、こっそり正体を明かし、文章と自分の気持ちを交互に告げて求愛する
(対するビアンカも「私に訳せるかどうか…」といいつつ、自分を諦めないで欲しいと言う)場面が好き
なのだが、映画には出てこず残念。
Bounce (2000年米)
監督: ドン・ルース
出演: ベン・アフレック / グウィネス・パルトロー
邦題: 「偶然の恋人」
評価: ☆
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つ…つまらない。
ベン・アフレックは馬鹿っぽいし。
自分の乗るはずだった飛行機のチケットを、軽い気持ちで人に譲ったベン・アフレック。
そうしたら、その飛行機が墜落してしてしまい…。責任を感じたアフレックは、アル中になり、AAに
通うも(その描写があるわけではなく、ベンが自分でそう語ってるだけ)立ち直りきれず、そのチケットを
あげた男の妻、未亡人になってしまったパルトロウの様子をさぐりに行く、という話。
いや、脚本も浅~いんだろうけれど、とにかくもうベン・アフレックが駄目駄目。。
あ~。なんで見ちゃったのか、この映画。私の時間を返せ~~な気持ち。
この映画を撮る少し前、ベンとグウィネスは本当に恋人同士だったらしい。ふ~ん。。
(で、何故Bounceが「偶然の恋人」??この邦題のセンスもわからん)
Bella Martha (2001年独)
監督: サンドラ・ネットルベック
出演: マルティナ・ゲデック / セルジオ・カステリット
邦題: 「マーサの幸せレシピ」
評価: ☆☆☆☆
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主人公マーサが良い。
(なかなか他人に心を開かぬところ、始終いらついていて無愛想なところ、文句を言う客に
逆切れするところ…、何だか共感。)
そんな彼女の姉が突然事故で亡くなり、姪リサをひきとることになる。
(この姉を演じているのは監督のサンドラ・ネットルベック。思い出のシーンで出てくるのみだが。)
リサのことを見守る 職場の同僚、イタリア人シェフ、マリオもまた良い。
(出番は殆ど無いが、リサの実父ジュゼッペも悪い人ではなかった。)←意外
出てくる人物も、食事も(ものすごくおいしそう!)良くて、
見終わった後あたたかい気持ちになる映画。
(…それにしてもこの邦題、何とかならぬものか?映画の雰囲気とかけ離れている感あり…)
Seven Years in Tibet (1997年米)
原作: ハインリヒ・ハラー
監督: ジャン=ジャック・アノー
出演: ブラッド・ピット / デビッド・シューリス / B.D.ウォン
評価: ☆☆☆☆
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オーストラリアの登山家ハラーの自伝に基づく。1939年、身重の妻を残しヒマヤラ山脈へと向かったハラー。だが第二次世界大戦の勃発によりイギリス軍の捕虜となってしまう。仲間 との決死の脱走、そして逃亡
の果て、チベットに辿りつき、そこで幼き日のダライ・ラマと出逢う。その交流、中国のチベットへの侵略など
を描いた作品。
何気なくみたが、引き込まれてしまった。
後半のダライ・ラマとハラーの交流が良い。
ドビュッシーの月の光を聴くと、この少年ダライ・ラマが時折聴いていたオルゴールを思い出す。
ダライ・ラマと出逢うことによって、驕った人間であるハマーに、少しづつ変化が表れていく。
私自身もこの少年ダライ・ラマを見ていると、心が洗われる想いだった。
中国はチベット侵略の史実を直視したくないらしい。この映画に対する抗議もあったとか。
Charlie and the Chocolate Factory
Roald Dahl
10/16日付の朝日新聞書評欄によると
「以前の田村隆一訳の方がよかった」という意見と、「いや、柳瀬訳の言葉遊びはいいぞ」という意見が真っ二つ
なのだそうだ。
田村派の人々は、柳瀬がつけた登場人物の名前にカチンときたようだ。ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳などでも知られる柳瀬は、原語から著者が意図したであろう連想と語呂合わせを汲(く)み取って名前をつけた。音を取るか、意味を取るかは、翻訳というものの永遠の課題かもしれない。
いや、私は「カチン」とまではきていないが、
でも名前の語呂合わせには「う~ん…」という感じである。
例えば原書を読んだ時に「登場人物の名前が違う」というのは、かなりの違和感なのではないだろうか。。。
自分の古い日記を取り出してみると
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2005/6/16
新装版が出ているようで、訳者も田村隆一から柳瀬尚紀に変わっている。
(柳瀬尚紀、10年近く前に「ジェイムズ・ジョイスの謎を解く」(岩波新書)を読んで面白かった
記憶あり。
当時、『「ユリシーズ」にしかけられた無数の謎を快刀乱麻に読み解く』(だったか…)、という
謳い文句にわくわくした。)(「快刀乱麻を断つ」って、好きな言葉のひとつ。)
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2005/6/26
予約していた、新訳(柳瀬尚紀)「チョコレート工場の秘密」が届いたとの連絡。さっそく取りに行く。
読んでみた感想。。。
訳の工夫、
工場で働く小人Oompa-Loompa(s)の歌う歌がきちんと韻をふんでいるのは、すごい。
それから名前についても、
Veruca Salt というピーナツ成金の娘は(旧訳がそのまま「ベルーカ・サルト」と訳されているところ)、
Verrucaが疣、Saltは塩、という意味なので 「イボダラーケ・ショッパー」 になっているとか。
Violet Beauregarde という、ずっとガムばかり噛んでいる女の子は 「バイオレット・アゴストロング」とか。。。
いろいろ考えられている。(そのほうが、原作に近い味わいなのだろう。)
…のだが…。
個人的には、名前はそのままのほうが好きなのだ。
(あとから、そういう意味だったのかと気付く楽しみもある)
「チキチキマシーン猛レース」の登場人物が、全員、本当は全く違う名前だと知った時
結構ショックだったものなぁ。。 (そんなの私だけかも知れないが。)
装丁や、Quentin Blake の挿絵など、本としての全体の雰囲気は新しいもののほうが好きなので
残念。
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なんて記してあった。
(でも装丁、挿絵は本当に新装版の方が良いのだ。
田村版(古い単行本の方)、チャーリーの顔が怖い。。。)
「名前」については、気になる人(私だけじゃなかった。。)も、
全く気にならない人もいるだろう。
です、ます調のほうがすっきりくる人もいれば、そうでない人もいるだろう。
良し悪しというよりは好みの問題だが、どちらにしても田村訳が
この先、手に入らなくなってしまうというのは、いただけない。
新装版で「田村訳版」「柳瀬訳版」両方あれば問題は解決するのでは?!
「朗読者」 DER VORLESER
ベルンハルト・シュリンク Bernhard Schlink
松永美穂訳
新潮クレスト・ブックス
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15歳のミヒャエルは、学校帰りに気分の悪くなったところを、ハンナという女性に助けられる。
それがきっかけとなり21歳年上の彼女に恋をした彼は、彼女に請われるまま、いつしか様々な
本を朗読をするようになる。
ところが、ある日突然、彼女は失踪してしまったのだった。
数年後、ゼミでとりあげた事件の法廷に出かけたミヒャエルは、被告人としての彼女と再会する…。
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Ⅱ章までは一気に、最後のⅢ章めは、なかなか時間がとれなくて、昨夜漸く読むことができた。
とても良かった。
おそらく貧しさゆえに教育を受けられなかったハンナ。
その境遇を知られたくないばかりに大きな罪をも認めてしまうハンナの自尊心は、愚かで悲しい。
(けれど私には理解し得るものであった)
「…勉強がバカみたいだって?バカ?あんた、切符を売ったり穴をあけたりすることがどんなことか
わかってるの」
裸のまま台所で車掌をやってみせるハンナ。
自転車旅行の風景。
プールサイドでの出来事。
全てのシーンが、映画を観ているかのようにはっきりと胸に迫ってくるのだった。
独房内でミヒャエルの朗読テープを何度も巻き戻しつつ、本を辿りながら字を覚えていくハンナの
エピソードは、刑務所の所長の言葉として書かれているに過ぎないが、特に印象深く、好きな場面の一つだ。
「過去に犯した罪をどのように裁き、とらえるのか」
前世代が犯した戦争の罪を考えることは、戦後生まれた者にとっての共通の苦しみであろうが、
この物語全体を通して、「ナチズム」という過去の過失が次世代のドイツ人に落とす、暗い影を強く思った。
最後に、装丁もとても好き。
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十五歳のとき、ぼくは黄疸にかかった。病は秋に始まり、翌年の初めになってようやく癒えた。