「モーツァルト」に続く第3回は、
「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」でした。
モーツァルトの突然の死後、
人々はモーツァルトに代わる音楽家を求めていて、
そこにタイミングよく登場したベートーヴェンは、
人気や評価を気にすることなく、思いのままに活動できたという。
モーツァルトがかつてそうであったように、
最初はパトロンである貴族のサロンで
ピアノ演奏を主にしていたらしい。
モーツァルトと同じく即興の名手で、
人々は、譜面に書かれたものよりずっと素晴らしい
彼の演奏を楽しみにしていた。
フランスに近いドイツのボンで、
当時としては自由な環境に育ったベートーヴェン。
理想主義で、自由な精神を持つ。
モーツァルトの時代と違うのは、
モーツァルトの時は、人とどう関わるか、アンサンブルが大事であったが、
ベートーヴェンの時は、より個人の時代になった。
フランス革命後、恐怖政治で混沌として、英雄を求めていた。
そこにナポレオンが現れ、
ベートーヴェンは、一歳違いのナポレオンと自分を重ね合わせた。
文学界ゲーテの影響も受けて、人間が試練を経て成長していくというテーマの音楽が
多く作られた。
ただ、理想を振りかざし過ぎ、音楽は人々に全く媚びず、
聴く人に背を向け、社交は苦手だったようだ。
28歳頃から耳が聞こえなくなって、
辛かったのは、演奏家として活動できなくなったこと。
その慰めを曲作りに見出していたという。
そして生み出された名作の数々。
調べてみると、原因はどうやら、その頃、ワインの甘味料に使われていた
鉛の中毒によるものではないか、とのこと。
30歳から以降、56歳までイマジネーションの世界に生きていらしたわけですね。
先日の日曜日「題名のない音楽会」で、
辻井伸行さんが、悲愴の第二楽章を弾いていて、
改めて素晴らしい曲だな、、と思った。
ベートーヴェンが聴力を失い始めた頃の作品で、
珍しく自分で題名をつけた作品。
ビリージョエルの「This Night」でおなじみです。
何か悲しみと背中合わせのベートーヴェンの作品は
エネルギーに溢れ、ドラマチック。やはり惹きつけられる。
「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」でした。
モーツァルトの突然の死後、
人々はモーツァルトに代わる音楽家を求めていて、
そこにタイミングよく登場したベートーヴェンは、
人気や評価を気にすることなく、思いのままに活動できたという。
モーツァルトがかつてそうであったように、
最初はパトロンである貴族のサロンで
ピアノ演奏を主にしていたらしい。
モーツァルトと同じく即興の名手で、
人々は、譜面に書かれたものよりずっと素晴らしい
彼の演奏を楽しみにしていた。
フランスに近いドイツのボンで、
当時としては自由な環境に育ったベートーヴェン。
理想主義で、自由な精神を持つ。
モーツァルトの時代と違うのは、
モーツァルトの時は、人とどう関わるか、アンサンブルが大事であったが、
ベートーヴェンの時は、より個人の時代になった。
フランス革命後、恐怖政治で混沌として、英雄を求めていた。
そこにナポレオンが現れ、
ベートーヴェンは、一歳違いのナポレオンと自分を重ね合わせた。
文学界ゲーテの影響も受けて、人間が試練を経て成長していくというテーマの音楽が
多く作られた。
ただ、理想を振りかざし過ぎ、音楽は人々に全く媚びず、
聴く人に背を向け、社交は苦手だったようだ。
28歳頃から耳が聞こえなくなって、
辛かったのは、演奏家として活動できなくなったこと。
その慰めを曲作りに見出していたという。
そして生み出された名作の数々。
調べてみると、原因はどうやら、その頃、ワインの甘味料に使われていた
鉛の中毒によるものではないか、とのこと。
30歳から以降、56歳までイマジネーションの世界に生きていらしたわけですね。
先日の日曜日「題名のない音楽会」で、
辻井伸行さんが、悲愴の第二楽章を弾いていて、
改めて素晴らしい曲だな、、と思った。
ベートーヴェンが聴力を失い始めた頃の作品で、
珍しく自分で題名をつけた作品。
ビリージョエルの「This Night」でおなじみです。
何か悲しみと背中合わせのベートーヴェンの作品は
エネルギーに溢れ、ドラマチック。やはり惹きつけられる。