先日のバレエ・レッスンで、
先生のご主人(ダンサー)が、
興奮気味におっしゃることには・・
先生のそのまた先生である、
東 勇作氏(あずま ゆうさく、1910 - 1971年、日本のバレエダンサーの草分け)
の小さな銅像が福岡で見つかり、
それを大きくしたものが、
今度、仙台市の東氏出身小学校前の公園に、
建てられることになったそう。
今年の秋に、セレモニーが催され、
仙台の生徒達中心にそこで踊りを披露することになったそう。
東先生は、1930年に当時鎌倉の七里ガ浜でバレエスクールを開いていた
エリアナ・パヴロワの内弟子となって、バレエの道に進むことになった。
ロシアの伝説のダンサー、ニジンスキーに憧れて、
見たこともないのに、文献で想像して・・
ニジンスキーの代表作「牧神の午後」を作って、
日本で上演したという。
錚々たる教え子がいらっしゃるのだが、
私たちの先生は、その「最後の弟子」なのだそう。
そして、東先生の思い出話をいろいろ聞かせて下さったのだが、
「バレエは、心で踊らなきゃいけない」・・ということを
いつも力説なさっていたということです。
その演技力たるや・・
帽子の中に入ってしまった蝶々とのやりとりが、
どんなに素晴らしかったかを、
モノマネが得意な先生が、真似して下さいました。
そして、普段も、バレエダンサーとして、
どうあるべきか・・を考えて生活なさっていらしたと。
(ラーメンを音をたてて食べたら、怒られたそうです。)
そして、わたしたちは、その流れを汲んでいるんだよ・・と言われてしまい、
あちゃーっ!!!という感じなのですが、
心を込めて表現することを、バレエだけでなく、
音楽でも生かしていきたいと思いました。
先生のご主人(ダンサー)が、
興奮気味におっしゃることには・・
先生のそのまた先生である、
東 勇作氏(あずま ゆうさく、1910 - 1971年、日本のバレエダンサーの草分け)
の小さな銅像が福岡で見つかり、
それを大きくしたものが、
今度、仙台市の東氏出身小学校前の公園に、
建てられることになったそう。
今年の秋に、セレモニーが催され、
仙台の生徒達中心にそこで踊りを披露することになったそう。
東先生は、1930年に当時鎌倉の七里ガ浜でバレエスクールを開いていた
エリアナ・パヴロワの内弟子となって、バレエの道に進むことになった。
ロシアの伝説のダンサー、ニジンスキーに憧れて、
見たこともないのに、文献で想像して・・
ニジンスキーの代表作「牧神の午後」を作って、
日本で上演したという。
錚々たる教え子がいらっしゃるのだが、
私たちの先生は、その「最後の弟子」なのだそう。
そして、東先生の思い出話をいろいろ聞かせて下さったのだが、
「バレエは、心で踊らなきゃいけない」・・ということを
いつも力説なさっていたということです。
その演技力たるや・・
帽子の中に入ってしまった蝶々とのやりとりが、
どんなに素晴らしかったかを、
モノマネが得意な先生が、真似して下さいました。
そして、普段も、バレエダンサーとして、
どうあるべきか・・を考えて生活なさっていらしたと。
(ラーメンを音をたてて食べたら、怒られたそうです。)
そして、わたしたちは、その流れを汲んでいるんだよ・・と言われてしまい、
あちゃーっ!!!という感じなのですが、
心を込めて表現することを、バレエだけでなく、
音楽でも生かしていきたいと思いました。