「いいじゃん、私何すればいい?」
異国の地に行きたいという強烈な気持ちは
中学生の頃からだった
びっしりと書いた志望動機
面接対策のために英語勉強に励んだ
でも受からなかった
機転の効いた同級生の男が
外でちゃんと寝れるかどうか?という質問にたいして「どこでも寝れるんで大丈夫です」と言って質問した先生を笑わせたからだ
夏休み期間にひと足先に異国の地に足をつけ
まだ涼しかった頃の9月に自慢げに帰国報告の発表をしていたのを覚えている
あれも原動力になってたのだろうか
数年経って、
数週間じゃない、もっともっと
できるだけ長く行きたい、いますぐ、あるいはなるべく早く
気持ちが大きく、濃く、焦りながら芽生えていた
進学先の高校は英語のことだけを考えて選んだ
「素質がある」といわれ、垂れ下がった頬をふわっとあげて、メガネ越しに見えるきらきらした目を向けながら、私に弁論大会を提案した担任の先生
可愛げのない私は喜ばなかった
そりゃそうでしょ、あれだけ勉強したんだから
そう思った
そして開口一番に「弁論大会じゃなくて、海外に行きたい、できるだけ長く」そんなことを話した
先生の頬はいつもの様子でまた垂れ下がり
少し残念そうにしながら
プログラムの概要を話し、ひと足先に旅立つ先輩を勧めた
先輩は明るい人だった
これは、海外に行くよなと思った
その日の帰り
正直自分じゃ無理かもなと思った
今になって分かるが
私の性格は暗くて陰湿だ
警戒心が強く、人を滅多に信用しない
でもそれだと上手くいかないから
無理してその時代ごとにキャラクターを作り上げ
自分が1番得する立ち回りを演じ続けていた
あの頃ここまで客観的にはなれなかったが
それでもとっさに無理だと感じた
まあでも、もともと夢だったわけだし
軽く母に言っておこうかな
状況はあまり覚えてないが異国の地に行きたいという話をしたと思う
「いいじゃん、私何すればいい?」
母の返答は想像の何倍も軽かった
それどころか前のめりに話を聞き出した
テキパキと、チャキチャキと話を進めている間に
いつの間にか私は異国の地にいけることになっていた
正直、母の性格が違えば
行けてなかったと思っている
送り出しの日
母はそこまで私を見なかった
祖母はいつもの笑顔で見送った
空港に向かう途中にジャングルのような怪しく湿ったカーブを曲がったことだけ、何故か覚えている
プログラムでの帰国は許されないルールだった
母ともその間、ほとんど声も聞いてない
住んでた国も見てきた景色も違う友達と旅をしたとき、
友達はドミトリーで寝そべりながら家族と会話をしていても
私は手持ち無沙汰に明日の準備をしていたほどだ
帰国が待ち遠しかった
自分がここで倒れて死んでも
本当に涙を流してくれる人間がいない
その圧倒的な孤独を若いうちに体感したのは大きな財産だと思っている
しかし同時に、帰巣本能を強く刺激した
帰国便が空に上がったとき、
やっとだ
コンプリートだ
心からホッとしたのを覚えている
Welcome to Japan
の表示を見てまた、肩を撫で下ろす
母はもう着いてるのだろうか
ここから受験が始まるのか
ワクワクとソワソワと、あれから2度と出番のなかった大きなスーツケースを持って
帰国ゲートを通り抜ける
大勢の人の中で母をみつけた
とても小さい
帰国ゲートで待っていた母の姿をみて
そう感じた
私が思っていた何倍も小さくて
何倍も歳を重ねているように見えた
私が頭に思い浮かべていた母の姿は
きっと子どもの頃のあの姿だったのだと強く実感した
そして母親の存在というのは永遠ではないことを悟った
自分を引っ張る姿も
テキパキ動く姿も
不器用であまり感情を出さない姿も
父に怒っている姿も
台所に立って野菜を買っている姿も
きけば最近は料理をあまりしてないそうだ
永遠じゃない
母の姿
あの日、あの瞬間から
私はそれを受け止めながら
恩返しをしたいと思っている