世界には闇がある


僕はその理由を見つけてしまった!


なぜなら"うんこが臭いから"である。




どんな場所でも

うんこは臭い、ぜったいに臭い

これがいちばん最初の闇である


世界にはハナから闇が存在していた


そのうんこが臭いという事実が

まわりまわって今すべての闇に

移り変わっているのだとしたら






文明が発達していない場所では

"うんこが臭い"がごく身近な世界の闇として

君臨している


しかし、文明が発達している場所では

うんこを掃除する人がその闇の一端を請け負う

うんこを運ぶ人がその闇の一端を請け負う

そしてうんこに携わった人の感じた不快のうち

その人の中で処理できなかった不快の端くれが

文明を伝わり伝わって分散したものが

今あなたが抱えている闇なのである



ほんとうか?

答えはノーである。




では山猿は闇を抱えているだろうか?

山猿にとっての闇とはなんだろうか?


山猿にとっての闇の具体例

"テリトリー争い"が

うんこと距離を置くためのもの

だと仮定したらそうなるだろうか?


すると、

広大な土地が有り余ってる山に生きる山猿は

ひしめき合った土地に住む人間に比べ

"うんこが臭い"という闇による

不快は少ないのではないだろうか


えー、基本うんこ遠くでしてくればいいから

すぐうんこと距離おいて生きればいいから




いいえ、仮定が間違っています。

テリトリー争いはうんこからの距離だけが

理由ではないからです。


"うんこが臭いから"だけでは

片付かない闇がーーー


はい。

世界に元から存在する闇はそれ以外にも

たくさんあります。


「食べなければいけない」という闇

「天候」という闇

「病気」という闇

「恋をする」という闇

etc.


さまざまな世界のデフォ闇の中で

今回は"うんこが臭い"という闇についての

ご紹介でした。


なんで自分のまわりの世界は

こんな闇なんだ!というそこのあなた


世界には元来、

"うんこが臭い"みたいな

デフォ闇があるみたいです。


デフォ闇が文明をつたって

まわりまわって今感じてる闇になってる。




しかし諦めるのはまだ早い!!!


良くも悪くも文明の発達により

格差が生まれていることで

闇が分散しているのも事実。

思考で乗り切れるところは思考して

できることとできないことを理解して

努力できるところは努力して

諦めずに

このことを受け入れて

闇の少ないところへと向かいましょう。


自分にとって居心地のいい友達と

この話をしたら嫌なこと忘れたなあ