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ホテル様々

もちろん免税店なんてぜーんぶClose。
世界中大混乱ですね‥
東京もロックダウン間近なのでしょうか。
インドの状況も先週から日々変わっていき、今や21日間の外出禁止となってます。
少し前に見たらインドの感染者は1000人近くになっているようで。。やはりペースが早い

当初の予定だと我が家はSpring Breakの先週末はバンコクで本帰国のお友達に会ったり、買い出しして食材ほくほくで帰ってきてるはずでした。
そして少しずつインドでもコロナが広まり始めて事情が変わり、バンコク行きキャンセルしてリフレッシュのために1泊リーラパレスでホテルステイの予定でした。
またまた先週から様相はガラリと変わり、お酒を提供するお店の営業自粛やモールが軒並み閉鎖、10歳未満と60歳上の外出自粛によりホテルステイを断念
さらに先週土曜日には国際線の受け入れ停止。日曜日はインド全土で外出禁止令がでました。

その日の朝、のんびり朝ごはんを食べながら〝今日はうどんでも打とう!〟なんて話していたら一本の電話が‥
そう。
会社から家族の一時帰国指示がきたのです。
周りが会社指示や自主的に一時帰国を決めて飛行機があるうちに続々とインド脱出をしていましたが、チェンナイからはどんどん帰る手段がなくなっていき、我が家は一時帰国はしないと決めていました。
その途端の帰国指示は正直なところパニックでした。
この時点でチェンナイからの日本に帰る手段はなくなっておりました。ANA直行便は早々に運休し、タイ航空も運休。シンガポール航空は帰国指示前日に他国からの乗り継ぎできなくなり、残すところデリー乗り継ぎからの臨時JAL便しか手段はなくなりました。
慌ててJAL便を予約!
25日の便が一番早かったので母子分抑えました。
もうここからがドタバタ。
日々、政府からの発表に怯えながらの私のドタバタたっぷりをちょっと時系列にまとめてみました‥長文です。
22日(外出禁止日)
一時帰国指示が出てデリー経由の日本行き航空券を予約しました。
ドタバタと準備を始めました。
23日
インド情勢を逐一チェック。
デリーがロックダウンして一旦国内線休止の連絡が入りますがすぐに訂正され国内線はひとまず運行との確認を得ましたが、その後に24日18時からの国内線休止の発表があり、慌てて24日朝発デリー行きのチケットを変更しホテルも予約。ただ、デリーがロックダウンしているためタクシーなどがストップ。ホテル側に空港送迎してもらえるか確認するもことごとく断られたため、最終手段、徒歩で入れるトランジットホテルを予約。
さあ、予約完了!と寝ようとしたら先ほど予約した便が勝手にキャンセルされて慌てて変更。予定より出発が早くなりました‥
そして当初、主人が心配だからとデリーまでついてきてもらう予定でしたが国内線休止に伴い、戻れなくなるため母子のみ。
私、この日は深夜までドタバタしてたので寝るのが遅くなったのに夜眠れず、朝早くめが覚めるという典型的な不安定。。
24日
朝早く、いざチェンナイ空港へ向けて出発。
出発時間が1時間以上遅れ、満員の飛行機でしたがなんとか出発。
そして無事3時間ほどの飛行でデリー到着。
お店はほぼ閉鎖。
デリーと思えないくらい人が少ない。。
そしていざホテルへ。
がしかし、予約していたホテルが見つからない。探しても探しても見つからずようやくホテルへつながる無人カウンターを見つけて内線かけるも繋がらない
外線でかけてようやくつながるも、次のフライトの24時間前にしかチェックインできないとのことで仕方なく5時間弱待つことに‥

何か食べようと思ってもロックダウン中のデリーの空港はコーヒーショップしかやっておらず、仕方なくお腹に溜まりそうなマフィンを購入し少しずつ食べて飢えを凌ぎました。。
その間、モディ首相の演説があると情報があり、私青ざめました

だってもしかして国際線まで止められるかもと内心ドキドキ。。
最終的には21日間の外出禁止。。
5時間後、時間になったのでチェックイン!と思って先程の内線にかけてみるも出ない‥‥何度もかけてようやくチェックインを申し出るも、断固として断られる

なぜ??
よくよく聞くとデリーのホテルもオールロックダウンしたとのこと。
えっ!
私さっき24時間前から入れるよ、と言われたよ!
予約もあるよ!
子どもも2人いるよ!
と伝えても受け付けてもらえず





待って!
さっきまで大丈夫だったのに!
信じられない!
ということは他のホテルも!?
慌てて主人に電話かけて状況説明。
とともに日本大使館へ連絡。
(営業時間外のためコールセンターに繋がり対応に時間がかかるとのこと)
その間、主人がいろいろホテルを探し回ってくれましたがどこもNOと言われ、大使館からは返信もなく私たち途方に暮れてました。。
(最終的には大使館からJALのデリー空港所へ連絡が入りJALの方とお話ができました。)
もう空港泊決意。
同じような人たちと携帯の電源確保できる場所近くに寝床を確保。ちびっこ2人連れて寝る場所にも困る私たちはもう切羽詰まってました‥
もうコロナとか言ってられない
それどころでは正直ありませんでした。

〝今日はホテルには泊まれない。空港に泊まるよ。〟
とちびっこに伝えたら
〝わかったー!〟
と一つ返事。下の娘ときたら
〝この椅子でこうやって寝るね〟
と実演してくれました。
私、それを見て涙腺崩壊。
その間もあまりにも不安でインスタのストーリーで不安を呟いてみたり

そしたらびっくりするくらいたくさんの方に励ましていただき、代わりに泣いていただいたり‥私とてもとても救われました

1人じゃない気がして嬉しかったのです

そんなこんなで明日まで乗り切るぞー!と気を張っていたら、空港セキュリティに〝ここはダメだ!〟と追い出されました

銃的なものをもった人3人にかこまれました。。
たまたま安否確認としてきたチェンナイのコミュニティからのメールで主人が私たちの状況を話したら、ちょうど知り合いでデリーのホテルに泊まっている人がいる!という情報があり、あれよあれよという間にホテル側と交渉していただき、私たちホテルに泊まることになりました



ホテルによっては受け入れているホテルもあったようでした
←予約内容、宿泊数やロックダウン前のチェックインなどにより格の高いホテルは対応が違ったのかな
私たちの予約したホテルが悪かったのか‥


結局チェックインできたのは深夜。。
ちびっこたちそれはそれは喜んでました

しかもこんな情勢だからかお願いしたらチェックアウトは無料で16時にしてもらえるという神対応。
信じられないことの連続で疲れ果てたのと、ホッとしたのと熟睡。
とっても素敵なホテルでした

25日
翌朝、コロナ感染防止でお部屋モーニングとなりましたがオーダーしてもなかなか来ず

結局9時半にようやく朝食にありつけました。
ちゃんとしたごはんは前日の朝ぶり‥
(どこも営業自粛やロックダウンで休業してたため)
食材調達が滞ってるからとジュースすらなく質素でしたが‥

ただものすごーく美味しかった♡
久しぶりのちゃんとしたごはんに嬉し泣きしそうでした‥
ホテルでのんびり過ごしてお昼は空港へ行っても何もないのでお部屋でルームサービス
ロックダウン中のデリーでちゃんとごはんが食べられるなんて!ありがたすぎるー


ホテル様々


お次の問題は検問に引っかからずに行けるかどうか‥実は25日の朝、JALから検問に引っかかった場合の対応について連絡がありました。
警察がいてドキドキしましたが、無事通過!
空港到着。
ほとんど人のいない空港。。
スムーズにことが運ぶとは思っていませんでしたが、イミグレで意味のわからない3人中2人のスタンプを押してくれないという謎の足止めをくらうも、前日のドタバタがあったおかげでもうちょっとやそっとじゃ動じない!という変な自信がついてました

もちろん免税店なんてぜーんぶClose。
でもそんなことたいしたことないくらいここまでこられたことが嬉しくて嬉しくて

あともう少し!
刻一刻と迫る搭乗時間が待ち遠しくてしょうがなかった!!
JAL便に乗れば飲み物だってごはんだって出る

日本人もたくさん

飛行機に乗れた安心感ったら。
このあとはもうスムーズ



ゆっくり映画見られたし、ちびっこは乗るなりすぐ寝て2食出るごはんを食べる時間もないほど爆睡
やっぱりなんだかんだ疲れてたんだろうなあ。。

検疫もインドの場合は体温測り、体調に関しての紙を記入して終了!
ホッとしたら急にインドに残された主人やお友達のことがものすごーく心配になってきてしまいました

グループラインでは食材調達ができる場所の情報が飛び交い、外出しようもんなら警官に棒で叩かれたり脅されたり

21日間も外出できないストレス、食べたいものが食べられないストレスは並大抵のものじゃないはず。
なんとかチャーター便や臨時便で早く帰ってこられたら良いなあと願うばかりです

一時帰国指示が出てから5日間。
チェンナイを出発してからの3日間。
私にとっては一生忘れることができないであろう、我が家のインド脱出記でした。
長文失礼いたしました。