タイトルはスヌーピーのセリフです。
私が小学生の頃流行ったスヌーピー。今もリバイバルなんですよねー。時代は巡る。
娘の友達もスヌーピー好き。でも今の子はスヌーピーが外国の漫画のキャラクターって知らないんじゃないかなあ。
外国の「ピーナッツ」という漫画の登場人物のスヌーピー。
「ピーナッツ」はなんというか、深い、漫画です。風刺?とも違うな。哲学的な言葉が満載の大人の漫画なんですよね。
犬のスヌーピーは、人間の女の子ルーシーに
「あなたってどうして犬なんかでいられるのかいつも不思議なのよね」という辛辣な言葉を投げかけられた時にこう返します。
「人生は配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどういう意味であれ」
でもその時の私は、
この世には不公正な事があるのは必然のことだから、受け入れて生きていくしかないのだ
と解釈していました。
例えば、人間が犬よりも優位になる世の中で、犬は犬であることを負け犬であることを受け入れて生きていくしかないのだと。
その中で自分の幸せを見つけていくしかないのだと。
一見ポジティブなんだけど、でも、なんかしっくりこなくて、自分の中でも悶々とした解釈ではあったのです。
でも最近、スヌーピーが言っている意味は、私の考えていた諦めの意味とは、ちょっと違うんじゃないかなと思えてきました。
配られたカードは決まっていても、それだけで勝ち負けは決まらない。
ゲームのルールによって、勝ち負けは決まるんです。
カードゲームはルール次第で同じカードでも強くなったり弱くなったりする。
配られたカードは決まっていても、どのルールで生きるかは自分で選ぶことができる。
そのルールでしか生きられないと決めつけているのは自分だけじゃないかと。
学校も、友達も、家族でさえ、1つの狭いルールの中でしかない。
自分が今のルールの中では、不公正だと感じているならば、気づいて欲しい。
自分が負け組ではないルールの中に生きればいい。
日本の中だっていくつもルールがあるし、日本で見つけられなければ、海外にはもっとたくさんのルールがある。
どのルールで生きるかは、いくらでも選べるよ。スヌーピーのように、自分であることに満足して生きられるルールが見つけられれば。
見つけられなければ自分で作ってもいい。
人の作ったルールの中でいくら負けたって、あなたの価値は変わらないんだから。
