11/1 父が永眠しました。
昭和15年生まれの頑固な父でした
先般からこの頃少し痩せたなと思っていましたが、母がこの頃
お父さんぜんぜんご飯食べないのって9月に病院にいきました
検査の結果はすい臓がん。ステージ5。
病院ではもう体力も無いですし手術も放射線もしない方が
良いですと宣告されました。
余命半年といわれていましたがなんとも宣告から2ヶ月で永眠してしまいました。
今年の夏に神奈川から妹が夏休みできていたので、私の新居で
花火大会を初めて皆でみました。
小さい頃から父は出張が多く一緒でみんなで出かけるのは
何かあるくらいしか行けてなく。
小樽のウシオ祭りに車で出かけた時は渋滞ののろのろ運転で、
嫌気が差し帰ると途中から戻ってしまったりw![]()
皆で花火を見る事などありませんでした。
私の自宅の前から豊平川の花火大会の打ち上げ場所が
ばっちり見えるくらいの場所なので家族も年だしベランダで
座って特別席
で一緒に見れました
皆でご飯も家で食べて父は少し疲れたようで椅子に座りながらTVを見ていました
なんとなく父が泣いていたような感じに見えて。。
妹が看護婦なので父がいないときにお父さん歩き方見たら
長くないかもって。。
痩せていたし歩き方もやっと歩いているような感じで
そしたらやっぱり9月に宣告されてオリンピック一緒に見ようねって
母も自宅で父の看病もしながらがんばっていましたが
10月28日に妹と2人で一緒にお風呂に入れて綺麗にしてあげて
とても父は喜んでいました
髭も剃って鏡をみて父も嬉しそうでした
父も寝ているので妹を空港まで送っていき帰りました
私も仕事があり自宅に戻って、でもそんなに早くいってしまうとは。。
すい臓がんでしたが痛みも無く眠るように亡くなっていた顔をみて
安心しましたが
涙が止まらなく涙が止まんない。。
無事に父を葬儀も出せて
生きていた時の父の地域の町内会長もしていたのもあり
いっぱいの参列の方にほんとに感謝しております。
父が定年してからは社交ダンスにはまり
母と父が背が差があるので私も反強制的にはじめたのですが
競技会にもでてシニアで入賞もできその後私は資格をとりましたが
今は私も活動もしていなく、活かせてはいないのですが
体調も少し良くなったのでまた活動できるようになりたいと
思いました。
母も糖尿病なので具合悪くならないようにと
何も家族に心配もかけないで永眠した父が凄い人だったなと
厳しい父でしたが尊敬できる父の元に生まれて
有難うと感謝する言葉しか出ません
父の死に私も人の生き方に色々考えさせられる事がありました
父昭和15年2月25日生まれ 満78歳
お疲れ様でした
有難うございました
安らかに休んでください

