稼業の心得 ~気をつけろよ。バカのような熱さがなけりゃ、自分稼業もおしまいさ。~

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本当にやりたいことで生きていく。マーケ軍師の稼業に「ナルホド!」なブログ。

【 NOSCE TE IPSUM 】(汝自身を知れ)


あなたらしく生きることが全てです。

あなたらしく考え、行動し、感じ、話し、学び、働き、愛し、関わり、楽しむ…

でも、何を望んでいるのかがわからなければ、
何があなたらしいのかもわかりません。

誰かの意見や流れてくる情報に惑わされず、
自分自身の本音を引き出していくこと。

一つ本音を知るたびに、あなたは一つ自由に、
そして幸福に近づいていける。
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社会に出てから気づいたことがあります。
「仕事をする=働く=勤める」という図式の中で生きるようになったということです。

それはまだいいんですが、ちょっと怖いなと思ったのは…
「勤め先がなくなる=The END」になっていたこと。
私は20代中頃まで、起業の「き」の字も思いついたことはありませんでした。
いい条件の職場は死ぬほど探し回りましたけどね。

今は個人事業主ですから、もちろん起業しているわけですけど…
仕事をするということは、誰かに雇ってもらうこと「だけ」だと、どこかで思い込んだんですね。
いっつも「とりあえず生活のため」にどこかに雇ってもらっていました。
結婚していたわけでもありませんから、それ以上の目的はなかったと思います。

今にして思えば、もったいない時間を過ごしたと思います。
どれだけでも起業する準備ができたと思うと…いやいや、後悔先に立たずですね( TДT)


それにしても、私はよく思うのですが…
昔々はみんなそれぞれ稼業があったはずなんですよね?
もちろん、今みたいに職業選択の自由はなかったようですが。

落語なんか聞いていても、何だかみんな稼業をもっているみたいなんです。
寿司屋だ、蕎麦屋だ、大工だと。
まぁまぁ、下働きの人もいるにはいるんですけど、
結局大会社がほとんどないもんですから、結果的に少なかったというのはわかります。

今、この現代において…
この大手企業がひしめく中で、かつてのように個人事業主がやっていくことは不可能でしょうか?
それぞれの人の特性や持ち分を活かして、仕事をするのは難しいのでしょうか?


私の意見として、国家や大企業、中小企業…つまり組織ぐるみでやる中では、どうしても行き届かないところが出てくるのが当然だと思うんです。
そして、組織活動が本当に効率的で生産的なのかという部分においては、かなり懐疑的です。

組織の中では、個々の持ち味を活かしきれない場面が多々あるからです。
必ずしも適材適所であるとも限りません。

不得手な人にやらせるから、生産性は落ちる。

生産性が落ちると、それを問題視して当人の責任として追求する。

でも、当人は辞めると生活が困るので、辞められない。

当人は不満やストレスを抱えて、病んだり、パワハラ問題になったりする。

そして、会社はその事態の収拾に余分な労力をかけ、さらに生産性は落ちる。

そのうち労働者を保護する法律はどんどん厳しくなる。

法律に守られているとわかれば、それを逆手にとる人も出てくる。

一生懸命仕事をする意欲のない、いわゆる給料泥棒が増える。

すると、会社は従業員のモチベーションをあげようとさらに労力をかける…

どうですか、この見事な負のスパイラル(笑)
(もっとも、かなり単純化して書いていますが…)
正直、今の世の中は真面目で優秀な一部の人たちの献身によって支えられているんじゃないかと思うほどです。

そこで、私はこう思ったんです。
「もし、もっと多くの人が自分の特性などを存分に活かして仕事ができたら、どんなに創造的で、発展的で、生産的な世の中になるだろうか?」

おそらく、会社と従業員の間の醜い争いはほとんどなくなるでしょう。
企業と個人とがパートナーシップを結び、よりよい結果を生んでいくでしょう。
失業率は目に見えて減るでしょう。
間違いなく、雇用まわりで発生している問題はかなり減るはずです。
そして、仕事に喜びと生き甲斐を見出す人が増えるはずです。


私のこの思いは幻想でしょうか?
経済学的にどうかは知りません。
難しい国家の仕組みもどうでもいいです。(難解な仕組みは怠慢と強欲の産物です)
そういうことは、専門の人にお任せしときます。

私はただ、多くの人が生き甲斐をもって創りあげていく世界が好きで、この仕事を始めました。
私の力が及ぶ限り…そんな世界を創ることに人生を賭けてみようと思います。
同じ思いを持つ人たちと一緒に。