アフタヌーン2010年9月号のおお振りより。
あー、このアフタ感想のラクガキ、
「そんな絵ないよ、やるなら嘘描くな」とご指摘くださった方がおられましたが、
そのまま模写する気はもともと無く、アングルとかむしろ変えられるとこは意図的に変えてます。
なのでそのまま本編にある絵はほとんど無い…筈。
まあそして、この先もたぶん一緒です。そういう意味ではずっと嘘絵続きますw
もし同様に思ってむっとしていた方とか、
未読だけどまんまの絵が本編にあるんだろうと思っていた方とかがおられましたら、
なんかくだんねーこだわりがあるんだろうとでも思ってご容赦くださいw
それぞれの学校からポジションごとに分かれて班を作って行われた合同練習で、
三橋君が「ピッチャー班」での最初の自己紹介のときにキョドって名乗って「ヒハシヘン」だと
皆に勘違いされ、
朝食のときにリーダーの永宮君が訂正するものの、
先輩たちは「ヘンでいいやん、覚えてしもたし、あだ名で」
と、変更してくれなかった…という話のとき。
「オレもはじめヒョーマって呼ばれとった」
「今は先輩たち、ちゃんと祥馬って呼びよっと」
と、声をかけてくれた上代君に三橋君は
(い、イイ人?)と振り返って…ってな場面。
桃李のユニフォームの色がわからないから適当です。帽子のつばとかロゴは校名的に
赤とか桃色とかオレンジなのかなあ?
他の方が書かれた感想で、上代君はあまり人と視線を合わせない、というご指摘があったので、
なるほどなーって、目を合わせているところをさがしてみたらたしかにこれ位しかほとんどなかったですw
ここで上代君は何を考えてたのかなあ?
文字通り三橋君の顔を見て、いい人だと思われてる?って思ったのかもしれないし、
「君もオレみたいに苛められてたの?」とか、「慰めてくれたの?」とか、
上代君がきかれていると想像した三橋君が実際考えていたのとは違う質問を否定したのかもしれない。
まあ、おお振り世界にはテレパシーは存在しないと自分は思っているので、
一つ目とはかぎらないぞ…とかいつも無駄に考えちゃうのですが、
まあこれは、単純にそういう無駄なことを考えられる余地のある物語が自分の萌えポイントなだけですw
フィクションの世界ではテレパシーとかの超能力が存在しても不思議じゃないですよね。
所謂超能力扱いじゃなくても、現実的な物語でも、
神=作者のお告げや他の登場人物からのテレパシーを受け、
的確にそのキャラクターが知りえない状況をキッチリ把握したり予測していなければできない、
物語的に正しい行動をするキャラクターっていうのはたいていのお話に存在し、
読者も登場人物を「ああ、完全に理解した」って思えるような展開も用意されていることが多い。
まあ、たとえば、主人公が親友を「アイツはいい奴だ!」と言えば、
ちゃんとそいつはいい奴だとか、ヒロインが引っ越すと誰かが「5時の電車だ、まだ間に合う」って言いにくるとか、重要なことは大きなコマで描かれるとか、何百回殺人事件に遭遇するんだコナンみたいな。
これは当たり前の話というか、物語を作るときのオーソドックスな手法として、読者と交わした「お約束」なわけなん
ですけど、その線引きは作家さんによってまちまちなので、
読者はそれぞれの知識や経験に基づいたその人なりのリアリティからこの作家さんが考えている「お約束」で突っ込むべきじゃないラインはどのへんかしら?と、何か物語を読むときに考えてしまう局面というのがありますよね。
たとえば、野球を良く知ってる人が野球漫画を見たときなんかに思うようなことも含め。
現実的じゃなくても、「この世界ではこうだと私(=作者=神)が言っているので、ここではそうだと思ってください」と言われてるようだ、と判断すれば、「OK,約束したよ」って。
じゃあおお振りはどうなんだろう?っていうと、実にしばしばそういうところを反則的にわかりにくく踏み外したり、逆に利用したりするカルトな作りをしてると思う。
つまり、簡単に言えば「どこまでお約束?」って考えさせられる機会が、他の作品より圧倒的に多いってこと。
例にあげるなら、西浦でやってる朝の瞑想ですよ。
これは実在する方法らしいのでちゃんとした理論があるもんなんでしょうけど、
「隣の人に体温を分けてあげる感じで、隣の人から体温をもらうつもりで…」と瞑想して、
じゃあ実際そう思い込めば自分や隣の人の体温を上げたり下げたりできるようになるかっていうと、
当然そんなことは無くて、(ていうか、訓練でできたら熱中症で死ぬ人なんかいなくなるw)
現実的にはその人が意識して出来ることは隣の人の体温を感知して、自分のものと比較することだけですよね。
そんなことしてるだけでチームワーク良くなんの?テレパシー?と読者は思いつつ、まあここは「お約束」するところなのかしら…と思う。
この手法で「めきめきチームワークアップ!」が、この作品世界の中の「神がちゃんと成功させてくれる魔法」であると作者が言うなら、お約束しなければいけないのかな?とか思うんです。
で、実際はどうなんだっていうと、
テレパシーや神が現実に存在することは立証されていないし、作中でも存在を感じさせないつもりだが、
そうとしかはたから見たら思えないような別の現象はえてして現実にも実在するのは確かだから、
そう思って読んでもらっていてもとくに差し支えもない。
みたいな感じなんじゃないかな。おお振りは。
瞑想に話を戻しますと、
そもそも、人間の体温なんてみんなちょっとずつ違うことなんて誰でも知ってることですよね。
意識してあげたりさげたりは出来なくても、緊張とか感情の変化で上下したり、
ある程度の自律神経反射を作ることができるのも本当のことです。
それで、実際にこの瞑想をしてみたメンバーの中には、
話を素直に信じてこの人をあたためてあげたい、という気持ちになると体温が上がる人も、
なにこれ馬鹿馬鹿しい、と思って体温が下がる人もいるかもしれないし、
何を考えてても体温が変わらない人も単に何を考えてようと体調で体温が高い人とかもいるでしょう。
コイツの手、冷たいな、緊張してんのかとかあったかいな、リラックスしてるのかとか考える人も、
実際計ってみたら全然違う温度なのに、ああ、いっしょくらいだ、と思う鈍い人もいれば、
そんなに違わないのに、ああ、全然違う、と感じる敏感な人とかもいて。
それで、違うとわかったときに自分が合わせようと考える人もいれば、
自分は大丈夫だから他人を自分に合わせようと考える人も、違って当たり前だと考える人もいて。
そんなのとは全然関係なく、「あ、だめだ、オレの手冷たい。今は瞑想中なんだから、あのこと忘れなくちゃ。でも、あれでオレそんなにビビッてたのかなー」とか、
「あれ、今日は冷たいな。昨日あんなことあったからコイツ気にしてんのかな。後で声かけてみっか」「手、固くなってんなー、素振り頑張ってんだなー」「やけにコイツの手熱いけど…ああ、反対側が篠岡か」
とか、現実にあったことに思いを馳せる人もいたりとか。
その中には勿論、正解もあれば不正解もあって。
ただ、考え続けたり、感じつづけたりしていれば、その人のそういう力は訓練されていって、
結果おのずと正解率は上がっていくわけで…
そしてまあ、中にはなーんにも考えずに言われたとおり心を無にして究極のリラックス条件反射を体得する人もいるかもしれませんが、それもそれで本来の目的どおりのいいコトで。
だから、あれは「隣の人と同じ体温になれと念じればいつか究極のリラックスとチームワークが完成する!」
とかいう、ファンタジーな魔法を信じて皆でがんばれという訓練の時間ではなくて、
隣の人と自分の手の温度を比較するということで、自分のことや他人のことをいろいろと考えてみたり、
逆に考えすぎるのを一度やめてみたり、理解するための観察力を訓練したりするための時間なんですよ。
で、黙って目を瞑って隣の人のことを考えることでリラックスしよう、という同じ作業をしながら、
実はそれぞれがしていることの内容はひとりひとり全然違っているんだけど、
全然違っていても、それぞれがどんな思いなのかなんてほんとのところはお互い知らなくても、
チームワークはいいほうがいいな、と同じ目的を持ったチームメイトそれぞれが自分や他人を知ろうとし、
自分や他人について色々と考えたり、考えた解決策を実行してみたりすることは、
チームワークをよくするというはじめの目的に向かっていく現実的な手段なんですよね。
つまりまあ、さらっと「現実はそう上手く行かないだろうけど、この作品では瞑想はそういう魔法、というお約束のようだ」
と思って読んだ人も、「いやそんなオカルト、フツーないだろ」と現実的に考え直してみた人がいても、ちゃんと最終的には「違うけどまあ、同じことか」っていう理由は用意されているみたいな。
で、そういうところが、まあそして、この件に限らず割合と作品全体にも一貫したトーンなんじゃないかなーと。
読者からしたら、だまされたような気がしたけどぐるっと回って元のところに戻って安心する感じとでもいいましょうかw
そして話が戻りますけど、そういえば次の試合との間にお昼ゴハンもあるんですね。
上代君のこととか、フォローがあればいいけどなー。
そこは、是非とも神のお告げが存在すると感じさせてくれる方向で…w
