古代の人々は

神の怒りを恐れ

生贄を捧げる事で

神の機嫌を

とろうとしていた。

それが真実であり、

正義だった。

今の常識も

いつの日か、

誰かに失笑される事かも

知れない。


わたしの育った家庭は

母子家庭で父からの援助もなく

国からの母子手当など

申請しなかったと

母が言っていた記憶がある。


当時の家を見ると

オンボロで

そして、母もよく

イライラしていた。


今思えば


私自身はあまり

気が付かなかったけど

かなり、

貧しかったのかも知れない。


なぜ、貧しさに

気が付かなかったのか

母は街の小さな喫茶店を

営んでいて

私はお店に顔を出すだけで

常連の

お客さん達から

お小遣いをもらい、

¥500から数千円単位。


お年玉も普通に

10万円以上入る事が

あったからだろうと思う。



幼い頃、

そんな母から

母の幼い頃の

苦労話を

よく聞かされ育った。


母の家系が

おかしくなったのは

母曰く、あの時からと言う。


あの時とは

母が幼い頃、

住まいが火事になり

大きな家から、

小さな平屋に

越さなければならなくなった。

大きな家に元々あった、

先祖代々のお仏壇を

引越し先に

置くことができず

そのお仏壇を外に放るように

置き、野ざらしに

なっていたらしい。

それを見ていた、

幼い母は不安で

雨に打たれたお仏壇をみて

祖父=母の父に聞いたという。

“あのままでいいの?”

祖父は撥ねつけるような

言い方で

”いいんだ!”と言い、

それ以上

母は不安でも口にする事は

なかったと言う。

ただ、それから

上手くいかなくなったと

言っていた。



その母に育てられたからか、

私自身

目に見えないものを

大切にしなければならないと

感じるようになっていった。


そして、

パンが買えないなら

ケーキを買いなさいよ

と平気で

言ってしまうような

母だけど

亡くなった人を敬う気持ちは

持っている。



大人になり、

知り合いのおばさんは

こう、私に豪語した。


“死んだ人より生きている人が

大事!仏様より、生き神様。

いいのよ!

気持ちなんだから!

生きている人が大事なの!

私たちが幸せなら

仏様も喜んでる!


確かに、生きている人は

大事。

でも、

その人を見ていたら

その気持ちと言うのは

なんだろうと

疑問に思う行動をする人

だった。


その言葉から、

随分と経つ。


考え方は人それぞれで


バチがあたるとか

呪われるとかは

分からない

そのようなものは

分からないけど


その気持ちが大事!と言った人の現在を見ると


私はやはり

目に見えないものを

大切にしたい派だ。





バッチが

当選するらしい‥。