横浜市保土ヶ谷区星川にある
星川杉山神社⛩に
お詣りさせて頂きました。





御祭神は、
日本武尊 (やまとたけるのみこと)です。




古事記には日本武尊の物語が書かれています。
































伏見稲荷社も祀られています。
京都の伏見さんには、
よくお詣りさせていただきました。



















日本武尊(幼名オウス)は、
十二代景行天皇の皇子で、
日本統一の戦いに生きた
古代の英雄です。





ヤマトタケルは大変美しい容姿で
女の子に見間違えられる程でありましたが、
その美しい外見からは想像できない
凶暴な戦闘能力を持っていたと書かれています。







天皇はタケルを頼もしい
と、思うと同時に恐れの感情を
抱いていたとも書かれています。






タケルは天皇の命令で
九州のクマソと出雲征伐に旅立ち
(当時16歳位)西国を平定し、
都に帰りました。






父親に喜んでもらえると
思っていたのですが、爆笑
父である天皇は
すぐにまたタケルに
東方を討てと命じます…。ガーン
兵士の補給もないまま…。ショボーン







タケルは戦の前に伊勢神宮に参拝し
叔母の倭比売命を訪ね
悲しい心の内を話します。汗汗ぐすん




父親に愛されていないのではないかなど…。ぐすん





悲しみ泣きながら立ち去ろうとした時、
叔母のヤマトヒメノミコトは
草薙の剣と袋を授け、





もし何か困った事が起きた時は
この袋を開けなさいと言って
送り出します。





この袋の中身は火打石です。





この剣と火打石が後に
ヤマトタケルの命を救うことになります。






妻のオトタチバナヒメの
献身によっても救われます。

(詳しくは古事記を読んでください。)






タケルは東征の旅に立ち、
勝ち続け
東国を平定しますが、





帰還の旅の途中、病に倒れます。ガーン



伊吹山で気を失い
玉倉部の泉で意識を取り戻したタケルは
体が弱り、足は腫れて
歩くことも辛かったようです。






杖をついてゆっくりと歩くのが
やっとだったようです。








三重の桑名を過ぎ
亀山の能煩野についたタケルは
望郷の歌を読みました(有名な歌です)






倭は 国のまほろば  たたなづく青垣

山籠れる 倭し麗し

命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の

熊白樫が葉を 髻華に挿せ その子

愛しけやし  我家の方よ 雲居立ち来も

嬢子の、床の辺に 我が置きし


剣の太刀 その太刀はや





やまとは、素晴らしい国 みどりなす山々に囲まれたやまとよ。美しい



生きているやまとの人は生き生きと

平群の山の大きな緑の樫の葉を
髪に飾ってかんざしにしてごらん 
さあ。



ああ懐かしい 我が家の方角だ 
雲がわき起こってくるのは。



おとめの 床のそばに 
私が置いた剣の太刀よ


その太刀をこの手に。




こう歌い息絶えます。
力尽きて死んでしまったのです。




そして魂は白鳥になって、
天高く飛び立ち
去っていったと伝えられています。




流れ星あじさい流れ星クローバー流れ星流れ星この歌を読むと胸が詰まります。





         流れ星あじさい流れ星クローバー流れ星流れ星





何故かわかりませんが、
灯りのともしてある提灯   

カメラを通すと何故か
チカチカと小刻みに動くのです。




何故でしょうか?

不思議です。









お読みいただきありがとうございます。キラキラキラキラ天使キラキラ