こぶで有難い    座右の寓話




昔、
有難屋吉兵衛と言う
男がいた。
この男、
すこぶる楽天家であり
かつて不平不満を
言ったことがなかった。




その吉兵衛が
ある日、急いで外出しようと
したところ鴨居に
頭をぶつけ饅頭のような
こぶを作った。



しかし、痛いとも言わず
両手でこぶを抑えながら
ありがたい、ありがたいと
感謝するばかりだった。




これを見ていた隣人は
怪しんで尋ねた。



吉兵衛さん、あんたは
こぶができるほどの
怪我をしながら、
何がありがたいのじゃ?



吉兵衛さんは答えた。
ありがたいですよ。
頭が割れても仕方がないのに、
こぶ位で済んだんですもの。
実にありがたいと思います。





この寓話の意味するところは
残っているものを
数えようと言う事だそうです。



自分自身に起きた
小さな不安に
いつまでもとらわれていても、
痛みが和らぐわけではない。



忌々しさがこみ上げ、
かえって痛みが増すのが
落ちである。



それよりも
その程度で済んだ幸運を
かみしめる方が
よほど生産的だろう。



ユダヤ人ジョークで
ユダヤ人は足を折っても
片足で良かった
と思い、両足を折っても、
首でなくてよかった
と思う。
首を折れば
もう何もすることはない。



失ったものを数えるな。
残っているものを数えよ。
そして残っている
ものがあることに感謝し、
それを最大限に活かそう。
これは真実である。
と書かれてあります。




これは真実だと思います。
私も右足が痛くて
歩けなくなったときに
忌々しさと不安が
こみ上げてきました。


しかし考えてみれば
50年以上も
私の体重を支えてくれた
足に対して
ありがとうも言わずに
使うだけ使って
右足が悲鳴をあげていたのです。
痛いよーと
泣いているんでしょう。

何十年も一生懸命
私の体を支えて
いてくれたのです。


右足にありがとうの
お礼を言い、
動くことのできる左足に
感謝をし、また
少しでも良くなれば
神様にお礼を言い
また、少し良くなれば
神様にお礼を言い
右足にお礼を言っていると
本当によくなってきたのです。



もちろん水泳と、
整骨院で
よくしてもらったからだと
思いますが、



今までのような
心の持ち方であれば
こんなに劇的に、
良くはならなかったのでは
ないかなと思います。



本当にあるものに
感謝する、与えられたものに
感謝する事は
どれほど大切な
ことなのでしょうか。


では、また⭐️⭐️⭐️⭐️