仙台空港まで迎えに来てくれた息子夫婦のクルマで一路「南三陸」へ向かいました。
この日は南三陸のホテルで一泊します。
この日は南三陸のホテルで一泊します。
ここはあの東日本大震災と津波で大きな被害を受けた場所・・・
宿泊していたお客さんを初め、住民の人々が着の身着のままで避難してきたところです。
宿泊していたお客さんを初め、住民の人々が着の身着のままで避難してきたところです。
海の際に立っているので、部屋から太平洋が見えます。
この穏やかできれいな海があの日豹変して町を破壊し、人々の命を、日常生活を
一瞬にして奪ってしまったなんて信じられない思いです。
この穏やかできれいな海があの日豹変して町を破壊し、人々の命を、日常生活を
一瞬にして奪ってしまったなんて信じられない思いです。

朝、ホテルから「語り部バス」が出ます。
所要時間約1時間で、震災を生き延びたホテルの従業員さんが語り部を務めてくださいます。
この日は大きなバス3台で、あのすっかり有名になってしまった「防災庁舎」や戸倉地区を
案内してもらいました。
所要時間約1時間で、震災を生き延びたホテルの従業員さんが語り部を務めてくださいます。
この日は大きなバス3台で、あのすっかり有名になってしまった「防災庁舎」や戸倉地区を
案内してもらいました。

この学校は高台にあるのですが、ここまで水が来たそうです・・・

防災庁舎・・・
手前に献花台が設けられています。
手前に献花台が設けられています。
屋上の床上約2メートルの高さまで津波にのまれ、助かった方はアンテナにつかまることが
できた人と手すりで何とか耐えられた人たちだけだったそうです。
今でもまだ見つかっていない方がいらっしゃるとか・・・。
海からそんなに近い感じはしないので・・・本当に想像もつきません。
できた人と手すりで何とか耐えられた人たちだけだったそうです。
今でもまだ見つかっていない方がいらっしゃるとか・・・。
海からそんなに近い感じはしないので・・・本当に想像もつきません。
あれから5年たって、周囲はがれきもないし、更地に盛土がしてあるというだけなので
知らない人が訪れたら何でこんなところにぼろぼろの鉄骨の建物(?)がぽつんとあるんだろう??
と不思議に思うだけだと思います。
知らない人が訪れたら何でこんなところにぼろぼろの鉄骨の建物(?)がぽつんとあるんだろう??
と不思議に思うだけだと思います。
伝えなければ「何もなかった」ことになってしまうとの思いから始まった語り部バスだそうです。
実際に被災された方から被災地で聞く話は胸を打ちました・・・
実際・・・泣いてしまいそうでした。
実際・・・泣いてしまいそうでした。
今静かで何もなかったかのような場所であるだけに、よけいに・・・。
でも、あの日までは、ここはたくさんの人々がふつうに学校へ行き、仕事をし、生活をしていた
場所だったんですよね・・・。
でも、あの日までは、ここはたくさんの人々がふつうに学校へ行き、仕事をし、生活をしていた
場所だったんですよね・・・。

バスの窓から見える景色はずっとこんな感じでした。
5年たっているのにいまだ工事中で、もとのような町に戻るのは一体いつのことやら。
5年たっているのにいまだ工事中で、もとのような町に戻るのは一体いつのことやら。
この日はこれから2012年2月から仮設で営業されている「さんさん商店街」へ向かいます。
(続く)
(続く)