けさ、しょーもないブログを書き終わって、さてきょうの休みはどないしよなんて
ぼーっとしていたとき、電話が鳴りました。
電話番号見ると、私の本業の事務所からでした。
2、3日前に、3月の予定の連絡が入ったばかり・・・追加かなと思って出ると、
事務所の大将(以下先生)が亡くなったというムスメさんからの知らせでした。
先生は86歳になられます。昔々からの速記者さんで、もとは某新聞社の速記者をしておられ、
のち独立して事務所を開いて、数年前に引退、今はムスメさんがあとを継いでおられますが、
とてもお元気で、事務所を訪ねると相変わらずワープロ(パソコンではない!)の前に
座って、原稿のチェックをしたり、駅までバイクで資料を届けたりしてくださっていました。
一昨年くらいから体調を悪くされて、入退院を繰り返されてましたが、
病名を聞くとオソロシイ名前なんだけど、「なんか元気なんですよ」と
ムスメさんが冗談まじりに言っておられ、
ことしに入ってから2度ほど危篤状態に陥ったものの、この数日は、意識はないものの、というか
眠っておられることがほとんどの状態ではあったものの、透析をしたり、リハビリをしたり、
回復への道をたどっておられたようでした。
そんなご様子だったので、昨日亡くなったときはご家族も本当に青天の霹靂だったようです。
リハビリの最中に、ホントに突然心臓がとまってしまったらしいです。
私も信じられない思いのままお通夜に出かけました。
お経の間、いろいろなことを思い出しました。
先生とはもう三十数年のおつき合いになります。
当時大学の部活で速記をやっていたワタシは、これを仕事にできたらなとなんとなく
思っていました。大学生の速記は競技だからね!
そんなとき駅の看板で見つけたのが「I速記教室」でした。でも本当に仕事につながるなんて
そのときは思わなかったのですが、競技の速記じゃない速記をやってみたくて(チガウのだよ)
門をたたきました。
そして先生のところに週1回通いながら、実務もさせてもらうようになったのです。
先生にくっついてよくいろんなところに連れて行ってもらいました。
民族学博物館、大阪市役所、神戸市役所、歯科医師会、薬剤師会、種々の講演会、座談会、
会議、大学・・・マイクの置き方、録音の仕方、原稿の仕上げ方・・・
本当にいろんなことを教えていただきました。
まさに先生との出会いがなかったら今の私はない・・・
マガリナリにも今1人で生活できているのも先生のおかげです。
きょう久しぶりに拝見した先生のお顔はすっかりやせてしまわれていて
面影はあんまりありませんでした。
そのせいもあるのか、まだ信じられません。
お世話になりっぱなしだった先生には感謝の思いしかありません・・・・が、
もう直接お伝えするすべはないと思うとさびしいです。悲しいです。
明日お葬式に行って最後のお別れをしてきます。
先生ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします・・・・・。