ブログタイトルにもある通り、私は幸せ自慢をしたくて書いているわけですが
キリッ![]()
書けば書くほど、自分の幼少期が可哀想に思えて辛いなーという面もあります。
というより、子育てという作業は、「生き直し」に等しい壮大なプロジェクトなのですよね。
この間、本当にくだらないことで娘をクドクド怒ってしまい、「あーもーダメだ、私!」となって、子育て相談ダイヤルに電話してみました。
そしたら、先輩ママである心理士さんが受けてくださって、
「分かりますよ、本当。しんどいですよね。自分の過去と向き合わなきゃならないですもんね。嫌でも目を背けられないから辛いのよね。」って言って下さって、ああ、そうか。それでしんどいのは、自分が不幸だったせいじゃなくて、誰でもそうなんだって思って、ホッとしました。
…ごめんなさい、当たり前のことなんですよね、きっと。
でも、自分の幼少期がちょっと特殊だった自覚がありすぎて、何もかもが自分の不幸由来の後遺症のように思いすぎる節があり、しんどくなっていたんだって気が付きました。
そうか、誰にでもあることなんだ。
誰でも、子ども時代と向き合い、自分の未熟さを噛み締めながら、子育てという名の「生き直し」を頑張っているんだ。
そう思えたことが、第一歩でした。
…一歩目、遅すぎる。。
で、私は怒りをコントロールするのが本当に苦手で、いつか子を虐待するんじゃないか不安で堪らないのですが、最近ハッとさせられたことがありました。
「あなたの怒りは、性格なんかじゃない。怒りという手段でしか関心を持って貰えなかっただけ。生きるために仕方なくやってただけなのよ。」
というカウンセラーの先生の言葉です。
子どもの頃からずっと「怒りっぽい」「性格がきつい」「気が強い」と言われ続けていたことが、初めて無効化されたような気持ちになりました。
「怒りっぽい私」はアイデンティティでもなんでもない。
そんな単純なことを納得できていなかったのです。
「怒りをコントロールしたい」という思いとは裏腹に、「怒らない自分」というのを、ずっとうまく受け入れられず、自分が自分でなくなってしまうのではないかという不安がありました。
でも、赤ちゃんが生きるために「泣く」のと同じように、幼少期の私が生きるために「怒る」という手段に頼るしかなかったとすれば、それによって貼られたレッテルなんて、私自身では全くない訳です。
何で怒ってたのか、誰も聞いてくれなかった。
その裏に、すごくすごく優しい気持ちが沢山隠れていたのに、見つけてもらえないまま大きくなって、そのことがどんどん怒りを大きくしていったんだった。
「生き直し」はとても苦しい作業でもあるけれど、自分を救う唯一の道でもあるのだなぁと感じます。
少し前までは、「娘があまりにも良い子だから、こんな私が壊してしまったらどうしよう」と、自分という存在を悪影響を及ぼす人間としか思えなかったのですが、
「娘さんが健全に育っているのは、間違いなくご両親の関わり方が健全だからですよ。」
と言って頂き、文字にするとあまりに当たり前すぎるのですが、自分が娘に良い影響を与えている自覚がゼロだったので、これまた目から鱗が落ちました![]()
(書いてて思う…やはり私、自分に対する認知におかしい部分があり過ぎる
)
子育てを通じて自分を育てるという言葉は、あまりにも良く聞く話ですが、私はスタートラインにすら立てていなかったのだということに気が付きます。
自分の心が傷つきすぎていて、殻に閉じこもっており、育つ余地なんてありませんでした。
疲れすぎている身体は疲れを感じなくなるように、私の心はあまりに不健康な状態だったのだと気付けたことこそが、大きな進歩でした。
最近とても嬉しいのは、
例えば、娘がイライラしたり悲しんだりした時に、その裏にある思いを汲み取って言葉にして昇華させてあげると、キラッと光る宝石を拾ったような気持ちになり、子どもの頃の自分が少しだけ元気になる感覚を得られるようになったことです。
前は、心の自分を押し殺して、無理に頑張っているような感覚がありました。
恐らく、少しずつ、ここが安全な場所だという感覚が生まれてきて、やっと栄養を吸収できる段階に来たのだろうと思います。
だから、娘にかける言葉によって、自分のインナーチャイルドが元気になるという感覚を得ることが出来るようになったんだと。
「ここには誰もあなたをレッテルで縛るようなことはしないし、子どもたちも夫も無償の愛をくれる。あなたが、本当のあなたの姿になって良い場所なんだよ。」
ということに、やっとやっと、頭ではなく心で理解できた気がします。
どうやって書いても、当たり前のことでしかないので、どんなに凄いことなのかうまく表現できないけれど、自分の中では大きな成果だったので記録してみました。
子どもから貰える無償の愛にふさわしい自分になれるように、自分も愛を与えられる人間になれるように、自分を変える最後のチャンスを大事に生きていこうと思います。