ああ、子の頑張る姿とは、なんと愛おしいものでしょうか。。
いつかこんな背中を押せる日が来ることを、そのための道筋があなたにとって幸せなものであることを、母はずっとずっと願っています。
今できることは、その未来に向けてのほんの第一歩だけ。
今得た結果は、足が届かない洗面台に置く踏み台でしかない。あれば便利だけど、なくても抱っこしてあげれば良いだけ。今はすごく欲しいけど、自然と必要なくなる日が来る。
本質を見逃さないように。
「蹴りたい背中」ならぬ、「押したい背中」を育むためのほんの第一歩目であることを、常に心に。
それにしても、やっぱり、「息子」だなぁ、こういうシーンは。
逆に、結婚は娘のシーンが泣ける。
こんな感覚も、“ジェンダー”と言われてバッサリ斬られたら嫌だなぁ。
母が息子を想う時の、胸がぎゅっと締め付けられる心は、なんとも形容し難いものがあります。
1歳にして、重いものを持ってくれようとしたり、転んでも「強いね」の言葉で泣くのを我慢しようとしたり、そんな姿を見るたびに、戦地に行く息子を見送る母親の気持ちを疑似体験し、胸が張り裂けそうな気持ちになります。
「男の子」というものは、母親、女性に対して、必死に自分を押し殺し、強い姿を見せようとして、泣くことすら我慢して「カッコつける」生き物であること。
人一倍ナイーブで泣き虫で弱虫だった子供時代を知っている母親は、どんなに大きくなっても、息子の内面を想像し、胸がぎゅっとなるんですね。
この気持ちを知れただけで、夫にも少しだけ優しくなれる気がします。
腰が痛いと言いながら、重い荷物を運ぼうとする時、「やめてよ、無理しないでよ、身体壊したら逆に迷惑だよ」と言ってしまうけど、「かっこいいよ、ありがとう」の方が嬉しいってこと、なんとなく分かってきました。ま、そうそう言えないけどね
笑。
