どんな場所にもいるんですよね。

基本的に性善説で生きていたい方なのですけど、人の心の機微って、何となく分かってしまいますよね。


ズルい人。意地悪な人。


気のせいかなー?と思わせるようなさり気なさ、良い人そうに見せて笑いながら嫌なことされることってありませんか?



私自身は根っからの学級委員タイプなので、そういうの大嫌いなんです。いじめっ子やいじめられっ子と同じクラスになったとしても、いじめが絶対に起きないクラスにする、という点でかなりの実績あり、そこだけは自信あります。



1番簡単なのは、「悪意を無視する」ことです。

微妙にいやーな事されても、自分の気のせい、と思ってこれまで通り過ごすことです。

「効かない」って思えば、バカバカしくなってやめる人が半数です。


次は、「笑顔で距離を置くこと」ですね。

相手が気のせいかな?と感じる程度にさり気なく、よそよそしくなることです。優先順位を1番から5番くらいに下げる、みたいな。

で、他の人ともっと楽しいことをするだけです。ま、私、人気者なんで照れ笑。

堂々と過ごしていて、相手からまた付き合いたそうにされたら、普段通りウェルカムで受け入れるだけです。

ここでも徹底して、悪意を無視するのがポイントです。

意地悪されてる人のことは、逆にスッとこちら側に取り込んで、人気者ならではの圧力で(笑)文句を言わせない状況を作ります。



それでもダメなパターンには出会ったことないけど、いじめっ子でなくとも、意地悪や不正、腹黒、みたいな人のことは、その人の善意が見えている時だけ笑顔で普通通りに接し、悪意には関わらないようにしますかね。


って、どれも言ってること同じですね。。笑い泣き



「悪意は無視」。

取り上げない、関わらない、批難しない。とにかく相手にしません。

自分だって、もしかしたら嫌なことしちゃう場面あるかも知れないんだから、いちいち悪者扱いしません。

勧善懲悪の世界ではないので、吊し上げたらブーメランが返ってきます。


許す、とも違います。

そもそも、そんな汚い感情に触れない、というだけです。



同じ理屈で、仲間外れもグループも作りません。通りかかった人、みんなに声掛けちゃいます。あるいは、個別で遊ぶとしても隠しません。

そういう付き合い方をしているのを、他の人が見たら、勝手に味方になってくれますから大丈夫です。だってそっちの方が気楽そうだし、楽しそうでしょ。



そんな私は、どこへ行っても「パーティーガール」「宴会部長」「幹事キャラ」になりましたが笑い泣き

ま、チャラくてなんぼです。重いより軽い方が良いです。



あと、裏でコソコソ言うような人には、仕事を頼む、というワザもありますね。

「得意そうだからお願いできる?」と。それはあえて、他の人がいる前でねニヤリニヤリ。

巻き込んでしまえば、悪口言えません。

ま、たいていそういう人は、やるって言ってもちゃんとやらなかったり逃げたりしますが、もちろん、それも追求しません。「あの人ちゃんとやらなかったんだよ」なんて、人にも言いません。


しらーっとしておきます。

恩を着せる、とも言いますが、ま、そういう人の場合、着せられた自覚もなかったりするので、期待するだけ損です。

ただ、「悪意だけを無視する」んです。


でも、たったそれだけで、その人の勢力、台風が温帯低気圧に変わるみたいにシュンとなります。



意地悪する気配がなくなれば、何事も無かったように仲良くすれば良いのです。

台風が雲に変わったとして、「あれは台風だった雲だ!!」なんて追求しないでしょ?

晴れ間に浮かぶ雲なんて何も悪さしないので、普通に過ごせば良いだけです。




意地悪したくなっちゃう時、嫌な気持ちが渦巻いてる時って、誰でもあります。

「あの人は意地悪な人」って決めつけたら、いつか自分も同じ立場になっちゃうかも。

縁あって同じコミュニティに集う仲間として、基本的には善意の方を信じて過ごすことが、心を健やかに保つコツかなぁ、と思う次第です。


あとは、もし、自分が悪意を向けられていると感じたら、私のような群れない学級委員タイプに近付くといいですよ笑


謎な自分アゲ日記になってしまいましたデレデレ



そうそう、少しだけお受験につなげておくと、「イジメられたと子どもが言ったらどのように対応しますか?」という質問が意外とあります。

そして、ミッション系スクールで時々話題にのぼる、イジメやトラブルを「様子見」されがち、という問題。

“事なかれ主義”と非難される場面もあるようですが、個人的には通ずる感覚があるかなぁと僭越ながら感じています。まだ小学校の様子が分からないので、考え方の本質に触れた訳ではないため何ともいえませんが。


“綺麗事”と割り切ってしまうのは簡単ですが、出来る限り“綺麗”な道を歩く努力をする、それが私立初等教育に求めるものであり、学校側が家庭にも求めていることなのかなぁと考察する日々です。