今日は、自身の戒めのために記録しておきます。



「教育は将来への投資」

と言われることもあるが、私は全くそうは思わない。

その言葉を免罪符に、どれだけ無駄なお金を使わされているかは、常に冷静に振り返る必要があると思っている。


教育にも習い事にも、お金と時間の貴重なリソースを割く訳で、親も子も身体は一つしかないのだから。


  • 今、その瞬間に子供が伸びようとしていることか?
  • 本人の意欲があるか?
  • 親では教えられないことか?
  • 習うべきは子か?それとも親か?

子育ての基本は家庭教育である。
それは、令和の時代だろうと共働きだろうと変わらない。
まずは、そのことを肝に銘じる必要がある。
その上で、親がどうしても教えることができないことをアウトソースするだけだ。

そもそも、親が全く身につけていない「何か」を子供にだけ身につけさせようとしているなら、それは親の自己満足に過ぎない。

「子供がかわいそう…。」

と言われてカチンとくるとしたら、恐らく何か心当たりがあるのだろう。


お金と労力は大事だが、お教室を選び・時に変えるコストは惜しむべきではない。

「見極め」と「後押し」

子供の教育に必要な親の助けはそれだけだ。
子供の運命を決める権利は親には一切ない。
そして何より、子供の本分は「遊ぶこと」である。
良い学校?良い学歴?良い職歴?良い友達?
どんな環境にいたって、どんなに遅くからだってやり直せることに、大切な子供時代を奪わせないで。
今しかできないこと、かけがえのないその瞬間を生きること、そのために、“親さえ頑張れば良いこと”を選べばいい。
親の夢を叶えるために、子供を手段にしてはいけない。親より子供を頑張らせてはいけない。


そんな風に精査していけば、自ずと課金ゲームに翻弄されることはなくなるはず。
学ぶべきは親なのである。

そして、教育課金のゴールは何か?といえば、子供が自らの将来を自ら掴める力やチャンスに繋ぐことであろう。
費用対効果はそんなほわっとしたものでしか返ってこないことを鑑みれば、必要以上にお金を注ぎ込むべきじゃないことがわかる。
でも、そのほわっとしたものこそが、「効果」であり、その効果を正しく評価できる親になることが目標である。


人生に100%の正解があるなら、それに100%のコストを投入する覚悟もあるけど、今や先行き不安しかないアジアの端のちっぽけな島国の、たかが学校一つで人生を決めたくはないかな。


一度きりの人生、広い世界、宇宙を見て生きてほしいから、お金を理由に「できない」と言うことがないように、仕事を理由に「時間がない」と言うことがないように、親は全てのリソースを効率よく配分していきたいし、しっかり稼ごうと思う。

そして、費用対効果のKPIの設定を間違えることのないように、親として正しい道を生きていきたい。