娘に対して、「自分のようになってほしくない」と思う気持ちが強すぎて、うまく愛せる自信がなかった私。

よくある話ではありますが、実母との関係がずっと良くありませんでした。


母のコンプレックス

地方出身の一般家庭に育った母は自分のことを、「ブス」「バカ」「貧乏」「田舎者」と認識していたらしく、そのコンプレックスは、東京のド真ん中の経営者と結婚するという良縁に恵まれてからも、消えるどころか逆に強めてしまったようです。

そんな母が最初に産んだ私は、色白で目が大きく、まつ毛フサフサ…全く母に似ておらず、近所の外国人にいつもシッターさんと間違われていたそうです。


産まれ落ちた瞬間から、都会っ子で社長令嬢の私は母親のコンプレックスを刺激し続ける存在でした。それは、大人になってもずっと変わらなかったみたいです。



ママは何をしたら喜んでくれるの?

私から見た母は、確かに目は小さかったけれど、声が綺麗で控えめな性格と相まって、いつも若く見られる料理上手で可愛いママでした。「またママのこと褒められたよ」と事あるごとに言うのですが、絶対に喜んでくれませんでした。


母と過ごした約20年間、「何をしたら喜んでくれるのだろう」というのがいつも悩みでした。

「可愛いね」と私が人に褒められるのは最も嫌い、100点取るのは当たり前、表彰されても、1番を取っても「あぐらをかくな」と注意される。「ママのご飯はいつも美味しいね」と言っても「わざとらしい」と不満そうだし、母の日や誕生日プレゼントを渡せば「こんなものにお金を使って…」と吐き捨てられる。


1番辛かったのは旅行先で買うお土産。何を買っても大した喜んで貰えないのに「家族のおかげで行かせてもらってるんだから、家族のためにお土産を選ぶのが当たり前」といつも怒られ、「coco (私)は旅行中ずっと家族のお土産ばっかり見てるよね…」と友達に呆れられるほど、旅行先では“お土産を買う義務を果たす”ことが最大の目的と化していました。


思考停止していた子ども時代

母はいわゆる教育ママとはまた違い、中受を控えた冬であっても「土日や季節行事は家族と過ごすもの」と、塾を休んで外食することもしばしば。私は4年生から塾漬けの生活をしているのに、受験したのは御三家1校だけ。学校見学すらせずに偏差値だけで受けて当然の不合格。

「受かればラッキーと思ったけど、うちには私立行くお金なんてないから良かった。」と笑う母に、私のこの3年間の苦しい勉強は何だったのかなとぼんやり考えていました。


当時の私は、完全に思考停止していて、親の言うことは「そういうものか」と深く考えずに従っていました。学校もなりたい職業も「親が喜ぶもの」であれば何でも良かった、ということに後から気が付くほど、自分の意志というのがありませんでした。

なので中受失敗は、本当は大きな心の傷だったのに、「別に本気じゃなかったから」という親のトーンに合わせて何事もなかったかのように振る舞っていました。否、傷付いていることにすらその時は気付いていませんでした。


「ママは私にどんな人になって欲しいの?」と聞いても、「好きなように生きてくれればいい。」と答えます。何のヒントもくれません。その割に、大学で国立を蹴って私立に行くと決めた時、「私は国立で研究の世界に生きる娘の姿を楽しみにしていたのに!」とガチギレされました。明らかに娘に期待している「何か」があるのですが、いつになっても分かりませんでした。


“自慢の娘”になること

母の癌が進行し、ますます私は“母が自慢したい”になってあげることこそ親孝行だと思い、誰もが羨む大企業に就職し、東大卒で運動神経抜群の好青年を結婚前提の彼氏として紹介しました。

さすがにもう大人だったので、母が人に見栄を張りたい性格であることは知っていて、誰に話しても褒められるであろう“理想の娘”のあり姿が見えていましたから。

でも、やっぱりそれほど喜びませんでした。「すごいわね」とか「みんなに自慢しちゃお!」とか「憧れてたの!」とか言ってもらいたかったな。

「人に自慢できる娘」を求めていながら、産まれ落ちた瞬間からコンプレックスを刺激し続ける娘の成功した姿を見るのもまた辛かったのでしょうか。


「ママは私をどう思っていた?愛してくれていた?」

亡くなる年、どうしても本音を聞きたくて、救われたくて、大泣きしながら聞いたけど、口が裂けても「大好き」「愛している」とは言えないようでした。「一生懸命育てた」と言われただけでした。

亡くなってから読んだ日記には、妹弟のことばかり書かれていて私のことなんてほぼなかったけれど、一つだけ「私はcocoが羨ましい」とあり、これが全てなんだと悟りました。


「自慢の娘が欲しい」けど、その自慢の娘の姿はいつだって母の人生とは真逆。人に褒められれば褒められるほどコンプレックスを刺激する嫌な存在なのです。苦しかっただろうなぁ…とまたぼんやり思います。


未だに分からない母の心

子どもの頃から漠然と、母と分かり合う日が来るとしたら娘が産まれた時だろうと感じていましたが、娘が生まれた今、かえって分からなくなりました。

私は娘に対して、「自分より幸せになって欲しい」としか思えないし、そのために何を教えてあげられるかワクワクしているからです。

お土産は、物なんかよりも思い出話を聞きたいからです。


それなのに…。

私もまた、訳もなく娘のことを嫌だと思うことがあり、苦しんでいます。

母の場合はコンプレックスがキーでしたが、恐らく私の場合は、当時の抑圧された自分がフックなのでしょう。幼児ながらに自分の判断軸を持っている娘が、親の判断を得ずに行動した時、スイッチが入ります。

「親の言うことを素直に聞く」ということが標準装備されていない娘を見ると、無性に腹が立ってしまうのです。


世の中の娘が欲しいママ達は、自身のコンプレックスや過去をどんな風に処理して娘さんと向き合っていらっしゃるのでしょう。

ただただ愛でていたいのに、満たされなかった心の傷が邪魔をしてきます。

母自身も苦しかっただろうな、自分の毒親と戦っていたんだろうな、ということだけは、今自分の経験を通じて分かり合える唯一のことです。



つづく。