※順不同です。まさに徒然なるまま。。
2人目の助産師訪問で言われたことばです。
「高みを極めたオッパイですから、どんなに適当な飲み方しても出ない心配はありません。」って。
その時は爆笑してしまったけど、母親にとってこれ以上の褒め言葉はないですよね![]()
その後、母乳育児辛いなーと思うたび、思い返して頑張ろって思えます![]()
私はもともとミルクや母乳に特段のこだわりはなかったのだけど、
夫が「なんか粉ミルクって美味しくなさそうだよねー」と![]()
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あれ?お腹の底から静かな怒りが…![]()
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でも。。
確かに、それが素直な感覚だなと思い直し、母乳チャレンジを決意しました。
覚悟を決めると極めるタイプなので、スパルタと言われるほどの母乳推奨の産院にもかかわらず、
「ママ、少し休みましょう…」と言われるほど、ストイックに開通作業をしました。
最初の3日間はほとんど出ない上、娘はおちょぼ口。
ラッチオンが苦手すぎて私のお乳はキズだらけ。なのに乳頭保護器はダメと言われ(その時は「鬼!」と思った)、吸われるたびに激痛で涙が出ました。
娘の体重もみるみる減っていくし、持って生まれた「お弁当」もさすがに尽きてしまったそうで、3日目にミルクをあげることになってしまった時には、なんて可哀想なことをしたのだろうと、大泣きしました。
4日目、「とにかく頻回授乳!!」と言われて、寝不足無視して20回以上あげ、そのうち数回は片乳1時間ずつ、と言った具合でした。
いよいよ退院前夜、ようやく体重が戻り、退院許可をいただきましたが、授乳姿勢にも自信を持てず、乳首の傷も全く治らず、本当に大丈夫かと、また泣きました。。
夜通し助産師さんに励ましてもらったなぁ…![]()
出産の仕方は本能で分かるのに、授乳はなんでこうも難しいのだろう。。もし原始時代だったら死んでしまうくらい生存能力低いよ、娘。。おっぱいの開通がこんなに難しいだなんて、出産前、誰も教えてくれませんでした![]()
(2人目の時は事前の乳頭マッサージとか、本当に丁寧にサポートしてくれて、産院の差を感じました。)
帰ってからも痛くて痛くて授乳の時間が苦痛でたまらなかったけれど、本当にある日突然、全く痛くなくなりました。![]()
産後2週間くらい経った頃だと思います。
あの瞬間から、私はようやく母になったのでしょうね。
と、安心したのも束の間、3週間目、突然の悪寒と発熱![]()
乳腺炎の洗礼を受けました。
10,000円が飛んで行きます〜
すぐに治らなければ3回くらい乳腺外来へ通います。
母乳はミルク代節約できて良いって言いますけど、トラブルになった瞬間にミルク1ヶ月分くらいポンと出費がありますし、めちゃくちゃお腹空くので食費が2倍くらいになりますよー。
1ヶ月健診を迎えるまでに、満身創痍…![]()
ではありますが、健診で「平均の2倍のペースで体重増加していますよー
」と言われた時は、山頂からのご来光を眺めるような達成感に包まれました(登ったことないけど)。
その後も、途中躓きつつも、完母で卒乳までやり切り、およそ3年弱という長い期間、娘の哺乳類としての本能にお付き合いしました。
でも、添い乳を習慣にしまったために、未だに添い寝必須。夜のオトナ様時間なんて夢のまた夢で、一緒に寝落ちする健康的な日々です。
思うこと、不便なこと、本当はやりたかったこと、もちろん沢山あるけれど、「ママ(オッパイ)大好き![]()
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」という全力の愛を受けとめる期間は、長ければ長いほど幸せです。
渦中はそう思えない日もあったけど、終わってみると自然と笑みの溢れる至福の時間が思い出として蘇ってきます。
99%の人が、産後すぐに頑張りさえすれば母乳は出るそうです。
せっかくヒトとして産まれたのだから、哺乳類らしいことやってみた、くらいの気持ちでしたが、かけがえのない思い出を貰えました。
すっかりハリをなくし、物理的には低みを極めた垂れ乳さんとなってしまった我がオッパイちゃんのお話でした。