そんなわけで、第一子は女の子でした。


産まれた瞬間、もう、存在が神々しくて眩しかった。。こんなに美しいものを汚してしまったらどうしようと、何をするのも怖かったっけ。

愛情が溢れる、という感覚を知ったのも娘のおかげでした。叫びたいほどの幸せがそこにはありました。




ただ、それはそれは可愛くて、ピンクやらおリボンやらが似合って幸せ…


というものではなく


残念ながら、娘のお顔は夫にそっくりのおじさん顔で、頭の毛は薄く、赤ちゃん時代は“女装”でしたねぇ。。。


1人目だし、女の子だし、ということで、みーーーんなピンクを贈ってくださるのですが、ことごとく似合わないのです。

それに、私は水色や黄色の方が好き…。

むしろ、白やグレーを愛でていたいタイプ。

こんなにピンクと赤が家に溢れること自体、「色が多い!」と感じて辛かったです。



「かわいい」という言葉に、それこそ謙遜のレベル超えてるよアセアセと言われるくらい、「いや、可愛くはないよ」と答えてしまうほど。

赤ちゃんとして“かわいい”だとしても、女の子として“可愛い”ではないことは、明らかだったのです。



でもね、それを親バカと呼ぶのかもしれないけれど、「この子は歳を重ねるほど可愛くなる」というのは確信していました。

だから、今の時点で慰めるような言い方で「かわいいよ」と言われると何だか嫌な気持ちにになりましたねー。

「いや、下手な慰めならいらんわ!ダッシュ」みたいな感覚というか。産後で殺気立つというけど、こういうやり取りが地味に辛かった「ガルガル期」でした。



皆様、褒め言葉に困る赤ちゃんに出会った時、そしてお母さんに似ていない時は、「いやいや、この子は美人になるよー!」と、

軽く現実を肯定しつつ、未来に向けた言葉にして頂くと、お互いの心に負担がないかもです笑い泣き




女の子への熱が冷めてしまっていた当時の私にとっては、それもまた辛い現実ではありましたね。

男の子の顔してると「男の子で生まれてくれたら…」ってどうしても思っちゃうし。




そして、ごめんなさい。


畏れ多くも、私、容姿ガチャはハズレではなかったタイプです。

クリクリお目目、長いまつ毛、さらさらストレートヘア、色白…「かわいい子」「目立つ子」というポジションが当たり前にある世界に生きてきました。

きっととても得をしたのだろうし、今もきっとそうなのでしょう。自覚的な部分と無自覚な部分がありますが。



でも、嫌な思い出だって多い。

今期のドラマ「メンタル強め美女白川さん」のような前向きなロールモデルがあれば、もっと上手に大人になれたかもしれないなぁ…。随分と拗らせた疲れる10代、20代でした。



色々と矛盾していますが、そんな自分やそんな世界をもの凄く嫌悪している面があるわけです。


なのに、子供の容姿について、大きなプライオリティを置いてしまう自分がいて、とーーーーーっても自己嫌悪。



一体、私は娘にどんな人生を送って貰いたいのだろう。どんな人生の先輩になれるのだろう。


私のような出来損ないが親になってしまったら、この「何物にも染まっていない無垢で可能性に満ち溢れた存在」を潰してしまうのではないだろうか。

「女の子」は楽しいよ!って心から言ってあげられるのだろうか。



女の子を熱望するママさん達は、それほどに女の子の人生、楽しかったのでしょうか?

胸を張って娘のお手本になることが出来るのでしょうか。



私の人生は確かに楽しかったし、おそらく比較的ラッキーだったと言えるだろうけれど、娘に胸を張れるほどだろうか。

容姿に恵まれたといっても、それを武器に仕事が出来るほどでもなく、ただガチャが外れではなかったという程度。

でも、失うのは怖いなと思う程度には恩恵に預かっている。


だから、もしも娘の容姿がイマイチだったら、私はどんな知恵を授けてあげられるのか自信がないし、逆に美人になってくれたら嬉しい反面、私の小さな価値観を押し付けてしまわないか不安。


とにかく、女の子を育てるのが本当に難しすぎて、怖くてたまらないという気持ちでした。


こんなに自己認知が歪んだ背景には、容姿の似ていない母と妹の存在があって、私が何を言っても「嫌味」と捉えられるようなややこしい関係だったことが、「女の子」との距離感の難しさに繋がったように思います。

そんな話もまた今度。



せめてね、自分に似た子だったら何となく慰められるものがあったかもしれないんだけど、自分の体からエイリアンのように全く似た要素のない子が出てきてしまった衝撃なども影響して、頭の中お花畑になる機会を失ってしまった娘の赤ちゃん時代でした。