年度始めの4月。異国での日本人同士の距離感は本当に難しいと思う。


随分昔のことだが...アメリカの店で会った日本人女性。クラフトクラスに興味があるということで連絡先を教えた。


で,電話がかかってきたのは,お子さんの学校のことについて。何か重要な決定をしなきゃいけないらしく,説明書類と30分ほどの動画があるという(イヤな予感)。


「英語の書類と動画は理解できないので,動画を見て内容を説明して欲しい。急いで決めなくてはいけない」


「ご主人に頼めないのですか?」


「夫は『子どものことは妻であるあなたに全部任せる』と言っています」


...その妻は一度会ったきりの他人にいきなり電話で頼んでいるんですが。同じ学校に日本人の保護者もいます。


「...実は今ですね,病院の待合室にいます。夫が骨折(その後手術した)して救急に来ていて」


はっきり言って,こちらはそれどころではない状況だが,お願いを取り下げる気配はない。「後でかけ直します」と電話を切った。帰宅してぐったりした夫(教育学の博士号取得者)と一緒に動画を見て詳しく説明してやった。


こういうのを頼めば料金を払うのが普通だろう。夫は何でも頼みごとを引き受けてくれるが,15年ほど前に「その日本人を助けてやりたい?私の時給って100ドルだよ」と言われたことがある。


お金で解決できることでも払おうとしない人も多い。そういう人に限って,うちは裕福で(持ち家は豪華だとかクルーズ旅行に行くとか)と自慢をし,自分の贅沢にはお金は惜しまず,人のことはケチだと。利用できるものは利用する。心は貧しいのか。


その後の人間関係を考えると,よほどの貧困でないならば,きちんと支払うとかそれなりのお礼をするのがいいに決まっている。親切にしてくれた人とは長く付き合いたいし,そういう人から学ぶことは多い。自分の人生を豊かにしてくれる素敵な人とは簡単に出会えないのです。そして,その人が困った時には助けたい。


夫は,「親切にされた人は,誰か他の人に親切にする。そしていい世界になると信じている」という。


目先のお金よりはるかに大事なモノを失っていることに気づいていない残念な人が多過ぎる。


「英語がわかるのなら,さっと通訳するだけだからあなたにとってはカンタン。お礼は要らないでしょ」くらいに思ってるんでしょうかね。


その後も連絡があったが,「大変な時に頼んでしまって...ご主人のケガの具合はどうですか」すら言えない。自分は大変,私を助けて,うちの子が...とパニックになるのはわかるけれど,イヤ,私だって大変ですし。


基本的に自己中心的なんですね。余裕ができた時にすら,振り返ってみることもないのだろう。日本人だからとか在米歴が長いからとか,年上だから当然,私はラッキー!という甘えはいけない。私も肝に銘じている。


親戚も友人もいない異国で困っている時,知らない人であっても日本人に頼みたいのはわかる。けれど,一度会っただけの日本人ではなく,まず自分の家族(夫)や同じ状況の人(ママ友)で解決できないのか。


そして,何故頼んだ人への配慮すらないのか。もう会わないから適当な対応でいいと思う...その心の持ち用が間違っている。


困っている人(日本人を含め)はなるべく助けてあげるようにしているけれど,膨大な時間(お金と手間)を使って親身になって世話した挙げ句に嫌な思いもたくさんしてきて...厚かましいお願いを直接断るのは難しいので,近寄ってはいけないと感じた人にはメールの返信をしない・電話に出ないことが必要だと気づいた。延々と続くお願い事に対処するには,そうするしかない。


短い人生,貴重な時間や価値観を共有する人は選んでいい。付き合う人は選ぶべき!!振り回されてストレスを溜めてはいけない。そして,自分も付き合いたい人から選ばれるように努力する。それはどこの国にいても同じこと。


相手がどういう人間か(自己中心的かどうか),早い段階で見抜くことが大事だと思っている。