随分前のことだが,近隣市に住んでいるアメリカ人(社会人の男性)に数回だけ日本語を教える機会があった。彼個人に教えている先生が一時帰国することになったので,その代わりを頼まれたのである。
その生徒さんが書いた日本語を見ると,句点が全部ピリオドになっている。「横書きではピリオドを使っている文もあるけど(小学生の教科書にも横書きはピリオドと掲載された時期があった),日本語はこの丸。を使う」と教えたら,「ぼくの先生は全部ピリオドを打っている(のでそれが正しい)」と。確かにこの先生の文章はすべてピリオド...しかも走り書きというか殴り書きに近い字で,ピリオドすらなかったり。
宿題を見た。I didn't go out. It was raining.の2つの英文をbecauseでつなげて日本語に書き直すというような問題である。「雨が降っていたので,外出しませんでした」が正当だが,「外出しなかったので,雨が降っていました」と解答してあった…。雨を呼ぶ男か?
「ガラスを割ったので,謝りました」は,「謝ったので,ガラスを割りました」。「頭痛がしたので早く寝ました」は「早く寝たので頭痛がしました」,いや,寝過ぎて頭痛が...とかそういう話じゃない。
10問以上全部間違っていたので逆だと説明したが,どうも腑に落ちない様子。「〇〇先生がこう教えてくれたので,これが正しい」と言い張り,譲らない。聞く耳を一切持たないのである。
この先生は,然るべき場所で日本語を教えていると聞いたけれど,本当だろうか?
気を取り直し,次。「みちこーさんは,ゆきこーさんの家に行きました」というように,何故か名前の後に「ー」がついている。このーは何かと問うと,以前学習したページを開いて見せてくれた。そこには,さくらーさんとかけんたーさんとか書いてあり,ナント先生が正当の丸をつけているではないか。Michiko-sanのように,名前とさんの間に入れてあるハイフンをそのまま残したのか。どうも名前の後には全部ーを書くと習得してしまったようで...。
「ほら,このサリーさんとかメアリーさんなら名前の一部でしょ。みちこーさんではなく,みちこさんで…」と説明したら,もう十分だと言いたげに,顔を真っ赤にして沈黙。
あと一回レッスンは残っていたが,もういいと言われた。先生という立場であっても反論されるのはクラフトでは慣れているが,日本語のクラスでは後に先にもこれ一度きり。
留守中責任持って正しく教えようとしたが,余計なおせっかいだったようだ。プライドが高いのか,頑固なのか,私を信用していないのか,注意されることに慣れていないのか。多分,全部。
人のために良かれと思ってやっても,相手には迷惑なことも多い。正しいかどうかは重要じゃない。「『あなたのため』という言葉を信じるな。結局はその人の都合のため」と聞くけれど,ホントにそうなのか。
お金まで払った上で間違いを覚えようが,コロナ禍でマスクを拒否し亡くなろうが,その人の自由,その人の選択...。
間違いを見つけてもさらっと触れるに留め,テキトーにほめてやり過ごせばよかったか。親身になり責任を果たそうとしても,相手を怒らせ自分のメンタルがやられるだけ。言い方を変えたって同じこと。そう,もう会わない,関わりのない人なのだ...。
よく「私はほめられて伸びるタイプ」とも聞くが,叱られたり注意されたりしたくないので,そこのところわかった上で私に接して下さいと言われているように思う。
傷つきたくない。もろい。
良くない点を指摘・指導せず,どうやって自分で気づくのだろう。家族や友人,職場の同僚は言いにくいことを承知で,嫌われることも覚悟で助言してくれる。そこに信頼関係や愛情があればお互いに受け入れられるのではないか。
もしほめられてばかりだと,私ならば調子に乗ったり勘違いしたりしそうだ。日本の職場でも叱られ続けていたし,自分などは全然ダメなので注意されて当然。
注意も指摘もされないのは,周囲に気を遣わせてそうさせないようにしているだけだと気づかない。本人の成長はない。腫れ物に触れるような関係で,疲れます。
金銭的な関係があってもこうなのだから,他では推して知るべし。その人はそういう生き方を選んでいるので,ほぅいろんな人がいるのだな,と距離を置くのがいい。