ドイツの旅を終えた。

1月11日に,ルーマニアの親戚(夫の従弟)から「飛行機はいつの便?バイエルンに連れて行きたい。ノイシュヴァンシュタイン城(駐車場から撮った写真)に行ってみたいでしょ?日程は合わせるから来る日を教えて」と立て続けにメールがあった。


これは3度目のドイツ旅行のお誘いである。2020年(今日予定していたこと) と2015年(「メリッサという女の子」)にも計画していたが,いずれも中止。


従弟の親友(ドイツ人の方)からも息子さんの堅信式(5/28)の招待状が届いていたが,感染の不安もあり...。


ずっと断っており,ただ考えないことにしていた。


そして,1月21日の日本のニュース。5月8日からコロナが第5類に移行するという。日本の家族や友人達も,旅を勧めてくれた。感染対策に厳しい日本が解除するのならと,チケットを購入(1/26)。


初めてのドイツ。バイエルン地方にずっと憧れていて,大学の第2言語もドイツ語を選択した。ヨーロッパは2009年(ハンガリー・ルーマニア)以来だ。


旅程は,フランクフルト空港→マンハイム(義姉らの家族)→ノルドハウゼン(従弟の親友家族の堅信式)→バイエルン地方(夫の従弟らと観光)→ミュンヘン空港。宿泊箇所は4つ。移動手段は親戚とその友人の車だ。


たくさんの親戚に会い,新しい友人が大勢できた。スゴイのは誰か都合が悪くなると,代わりの親戚や友人がやって来て助けてくれる(ベルリンから車で一人10時間運転して来たり)こと。


遠慮せずにしたいことを言いなさい,心配するな,ナントカなる,といつも言われた。みんな,ダメな私(と夫)を優しく受け入れてくれ,精一杯以上のものを与えてくれた。


ハンドメイドが好まれるというので,手作りバッグ15枚をお土産に持参した(10枚は前もって郵送)。

観光した場所,出会った人々,見たことのない花,野菜,自然と環境(問題意識),お土産にとブレンドしてもらったたくさんのスパイスやイーラーショシュの刺繍糸,日本語に訳されていない事柄,外から見る日本やアメリカ,ものの考え方,そして人の痛み。


五つ星ホテルに滞在するような旅ではない。物質的で表面的な豊かさは,本当の豊かさではないとつくづく思い知らされた。


己の無知さや弱さにも向き合った。今後の私の生き方に大きな影響を与えてくれたかけがえのない旅。感謝しかない。


私の中で,この旅はずっと続く。どう生かし,どう生きるか。


10回ほどに分けて書いてみようと思う。