昔,母親とイタリア旅行に出かけた時のこと。福岡のホテルに前泊し,空港までタクシーで行ったのだが…空港に到着し料金を支払うと,タクシー運転手に,早く降りてトランクからスーツケースを自分で下ろすように指示された。えっと驚きながらも急かされたので,母親と二人で重いスーツケースを二つトランクから引きずり下ろした。


タクシーが去った後,後方に停まっていたタクシーの運転手さんが,我々に「あーあ。それは運転手の仕事だろ。何やってんだ,言われるままに自分で下ろしちゃって」と…。

 

私は赤面した。田舎から出てきた私と母。身なりも振る舞いも田舎者で,適当に扱ってい客だったのだろう。母親にとっては初めての海外旅行で,スーツケースも洋服なんかも新調したのだ。


...見た目で判断されるということを知った。 

 

台湾の結婚式に出たという友人が,「台湾ではバカにされないようにするために,(無理して)豪華な挙式をしたり身なりを整えたりする」と言っていた。

 

確かに,ある日本語の本にもそう書いてあった。清潔な身なりだけというのでは十分ではない。良いサービスを受けるために,金目のモノを身につけろという(アメリカでは危険だが)。見た目で判断するのは正しくはないが,現実は違う…。

 

アメリカだと,衣服や化粧,持ち物,体格だけの見た目ではなく,肌や髪の色が様々だ。外見についてやたらとコメントする日本のような調子でいると,人種差別につながることもある。「いえ,私は鼻が高くてうらやましいとほめたんですよ」と言われるだろうが...そうじゃない...それも含めて。


以前「あの人種は盗みをするから。以前も夫が被害に遭って…」と言われた時に,私はひどく悲しかった。日本人同士だから,他人種について語り合うことは良しとする風潮も,すべて。そんなこと言っちゃだめですよ,ではなく,そんなことを思ってはいけないと言えるか?言ったところで,そうですかわかりました,と心から感謝されたりはしない。本音で話せないお堅い人というレッテルを貼られるのだ。 

 

また,「身なりが質素な人こそ実は金持ちだったりするので」とも聞く。「ので,貧しそうな人にも親切にしておいた方が後々得なことがある」とでも言いたかったり。自分の利益のため?

 

外見で判断する・される方がラクだと思う。高価な衣類さえ身に着けていさえすれば,無条件に大事に扱われ,人との接し方を考えなくていいのだから。でも,人間の中身は違うし,五万円のサングラスも三十万円のバッグも私を幸せにはしない。むしろ惨めにする。

 

年齢を重ねると,見た目で判断してくる人も,自分の損得勘定をしている人もわかるようになる。「絶対に見た目で人を判断しない,誰にでも平等に接する,中身を見抜く」ようでありたいと思っている。