アカデミー賞を獲得したということで,遅ればせながら先日「ドライブ・マイ・カー」(年齢制限あり)を観た。夫は,朝ドラ「純情きらり」(2006年)以来,主演の西島秀俊さんの大ファンだ。
以下,自分の解釈を書いているので,これから視聴する方は読まない方がいいかも…。
芝居とシンクロしながらストーリーが進むところは,映画「セールスマン」(2016年)に似ている。アーサー・ミラーの「セールスマンの死」を知らなかったこともあり難解だったが,非常に印象的な映画であった。
「ドライブ・マイ・カー」の原作は村上春樹氏。2007年にイタリアの義姉家族を訪ねた時,息子さんとその友人も「村上春樹と吉本ばななの大ファン」と声をそろえて言った。義姉も,北野武監督の映画の大ファンだそうで,ミラノの自宅で録画してあった「菊次郎の夏」(1999年)を観た。いずれもヨーロッパで人気があるというのは本当だったのだ。
「ドライブ・マイ・カー」についても,妻との想い出を探すロードムービー…という程度の認識で見始めたが…何と。視聴後の数日間,小説家の夫といろいろ解釈し合った。
ラストについては,車は(失明の可能性のある)持ち主の家福から譲り受けたのだろうと一瞬思ったが...明確に描かれていない。わかるのは,ドライバーのみさきが韓国にある程度の期間滞在していることと,解き放たれたように見えることくらいだ。
コンビニではなく大きなスーパーで買い物していて,言語も流暢のようだ。大きなエコバッグは持参しているが(ゴミ収集車の運転手でもあったし),店のポイントカードは貯めていないので,この店の常連客ではないのだろう。手慣れた様子で一人で買い物はしているが,この辺りに長期に渡って住んではいないようだ。
ラストになり,急に食料品の買い物という生活感のある場面が出てきた。無表情で淡々と話す彼女とはまるで違う,人間的な一面。笑みのような表情も初めてだ。
ネットを見ると,「みさきは似た車に乗っている」と考える人もいるようで…うーん,そうなのか?そう考える?どうして?自分に影響を与えた人の車に似た車に乗って似た犬を飼うことで幸せを得る…という解釈。わからないが,そういうのは返って虚しくなったりしないだろうか。あまりにも自分がなく,ラストの彼女の表情にふさわしくない。
第一,そっくりのビンテージ高級車を他から購入するというのは…経済的に考えてもおかしいし,何の伏線もなく飛躍し過ぎている。スーパーでの買い物の量と,帰る当てがありそうなしっかりした足取りからして,誰かといるということは想像できる。家福は彼女の運転を全面的に信頼しており,緑内障で運転できなくなった彼の車を彼女が運転していたと思われる。夫も,二人が一緒であるということは100%明白だと言う。
「亡くなった実の母が在日韓国人だったので韓国へ行った」という解釈もあるようだが,そういう描写は見当たらなかったし(見落とし?),唐突過ぎる。彼女のこれまでの言動からしてもそれは違う。みさきは高校を卒業後故郷の北海道を去り,身寄りもない。母親との関係は非常に悪かった。そうなると,つらい過去を共有し受け入れ合った主人公と一緒だと考えるのが一番落ち着くような気がする。家福の書く脚本は多言語の芝居なので,韓国で公演をしながら生活していても何ら不思議ではない。
主人公の姿は画面にはないけれど,ラストは主人公が暗に見えるように描かれるべきだから。みさきを通して家福が浮かび上がる,秀逸なエンディングだった。
マスクについてはよくわからなかった。これも「みさきは女優になって有名になったからスーパーでマスクをしていた」と考える人もいて!まさか!彼女は芝居は観ていたが,女優になったという手掛かりは一つもない。いくら何でも飛躍し過ぎ。想像すればいいってもんじゃない…。パンデミックの最中でもあるが,レジの人はマスクをしていたか覚えていない。この意味については,再度考えてみたい。
流産した韓国人夫婦が飼っていた犬は,子どもの代わりで,実に象徴的だ。家福も娘を亡くしている。みさきが運転をほめられて照れ隠しの相手をしてくれたのも犬であった。犬は傷ついた心を癒やしてくれる。最後のシーンで犬と一緒であったことは,犬を世話しているという落ち着いた平安な暮らしを感じさせる。
まっすぐ続く一本道を走るラストシーンは,広島の平和公園と原爆ドームをつなぐ線,つまりこれも続くであろう平和を暗示している。
この記事を書きながら,確かめたいシーンがいくつも出てきたことに気づいた。長いなぁとか考えながら夜にぼうっと観ていたので(179分もあるとは知らず),またいつかもう一度観て考え直したいと思う。