最近たまに日本のテレビやネットで目にするのが,「優しい世界」という言葉。うーん。
身近な家族や友人を超えて,見知らぬ人にまで親切にしてもらうような世界か。
...自分が親切にされたいということですかね。
2年ほど前だったか,朝の情報番組の料理コーナー担当の方がコロナに感染。後日,その時の様子を語る特集が組まれた。
家には食料もなく,在宅介護している親とは別の施設へ隔離されたが,タクシーにも乗れず苦労したと言っていた。コロナの恐ろしさよりも,誰も助ける人がいなかったということがひどく恐ろしく,ただ悲しかった。その人の交友関係の広さや親戚づきあいの深さという意味ではない。孤島にいるわけじゃないのに,だ。
同じ番組に出ている人達は,大変でしたね,といったコメントをしていて...他人事に聞こえた。同僚だろう。番組スタッフだって大勢いるはず。何も知らなかったから助けられなかったのとは違う。もちろん,それぞれ事情も考え方もあるし,お金も時間も使いたくはない。自分が感染しても助けてくれる家族も友人もいるし,近づいて感染したら大変だし...。しかし。
手作りの料理を持って行けとは言わない,食料を買って自宅の玄関に届けることはそんなに難しいことかな...理解に苦しむ。
日本の友人が困っている時,私が物を送る(アメリカからの郵送か日本のオンラインショップ)ことで解決できない場合,弟夫婦や他の友人にヘルプを頼む。互いに面識はないから,その人の置かれた状況を十分に説明してからだ。困ってる友人には,助けてくれた人には私がお礼を贈るから気にするなと伝える。お礼は要らないから,元気でそこにいて欲しいだけ。
距離は,理由にも言い訳にもならない。忙しいのはアナタだけではないし,お金や手間がかかることをしたくないのはみんな同じだ。しかし,大変でしたね,で済ませたくない。
本気で助けようと思ってるのかどうか。本気ならば方法を見つけるし,見つかる。本気は相手にも伝わる。
優しい世界は黙ってそこに存在しているものではなく,自分が創るもの。受け身のいいとこ取りは,単なる自己中心だ。一人ひとりが能動的に動いて,そういう集団が優しい世界を創る。