5月中旬に,日本の家族にオンラインショップで角煮まんじゅうを贈った。姉から「お中元にしては早いけど?」と聞かれ,弟には「円安還元セールだよ」と答えたら,ナルホドじゃあ遠慮なくと納得していた。

 

「人においしいモノを贈って喜んでもらえるのが,自分が食べるより嬉しいなぁ。自分も食べた気分になるし」と夫に話した。夫の答えは「...私は,アンタが作った食べ物を人が喜んで食べている時が一番嬉しいんだ」。

 

私はもてなしたい気持ちだけはあり,よく人も呼ぶ。ハッキリ言って料理は不得意で毎回何を作るか悩むが,夫は「何でもみんなが喜ぶから心配要らない」と言う。うーん。人の作ったモノに文句を言う人はいないから,そうとは思えぬ。

 

持ち寄りパーティでも,夫は私が作って行った料理ばかり食べる。「せっかくの機会なのに,どうして他の人が作ったおいしいモノを食べないの。これはうちにも残りがあるし,いつでも作れる」と言っても,「アンタの作ったモノが一番安全でおいしいから」と。フツー(よりはるかにレベルの低い)のポテトサラダとかクリームシチュウなんです。

 

夫は絶対に文句を言わない。「ご飯できたよー」と呼ぶと,必ず"Thank you, honey."に始まり,フツーの白飯・味噌汁・唐揚げ・サラダでも,"Wow!Look at this decoration!"と大げさにほめ,食後も後片付けを手伝い,"It was good!Thank you, sweetie pie."と言って台所を出る。そして,デザートを食べながらテレビニュースを観るのが日課だ。

 

1品料理(うどんのみ)だと「片付けが簡単でいいなあ!」だし,品数が多いと「典型的な日本の食事。小さな皿がいっぱいでキュート!片付けで行ったり来たりするのはいい運動になるな」とポジティブなことしか口にしない。 

 

「疲れて後片付けができないなら黙って放置しとけ。謝らなくていい。それが対等なパートナーだ」,「品数は少なく。料理の時間を他の有効なことに使え」と言われる。

 

先日なんかダシを取り忘れたすまし汁を出してしまったが,「いいいい,このままで」と。味付けを忘れても冷めていても文句を言われたこともなければ,要求されたり残されたりしたこともない。食事の時間が遅くなると言えば「いいよ」(お年寄りへの食事ボランティアは時間前に持って行く)か,「手伝おうか」または「食べに出かける?」だ。

 

「これは日本食料品店で買った食材だから,絶対においしいよ」と言えば,「いや,アンタが料理するからおいしくなるんだ」と返される。何を作ってもほめられ感謝されるが,それは相手が喜ぶのも傷つくのもわかるからだ。

 

3日連続おでんだろうが麻婆豆腐だろうがラーメンのみだろうが,「食べ物は食べ物。おいしいものはおいしい。私は生きるために食べてるのであって,食べ物のためには生きていない。文句を言うなら自分で作れということさ」。至ってシンプルだ。

 

私は高級な食材も使わなければ,いい腕や研ぎ澄まされた味覚もない。いい食器もないし,テーブルセッティングもいつも同じようなもの。その代わり,大げさにほめられたり感謝されたりすることで,毎日料理をし人をもてなすことができる。私は私で,それでいい。

 

相手の気持ちを想像し,目の前にいる作ってくれた人に感謝する。それが食事をおいしくする。当たり前のことだが,なかなかできない。