来客に靴を脱いで欲しいと,室内スリッパを指さすと…たまに断られることがある。
理由は,「靴下に穴が開いているから」とか「全身のコーディネートが崩れるから」等様々。もう一つ,「(私の土足履きは)汚れてないから」という答えが。これは,単に履き替えるのがメンドウなんだな。
コロナの初感染者がミシガンで見つかった頃,知人とカフェでコーヒーを飲んだ。お昼時だったので,その人はサンドイッチも注文していて,私がサニタイザーを出すと…まさかの「No,thank you.汚れてないから」。いや,ウィルスがなくても手づかみで食べる前はキレイにするでしょうよ…断らなくてもいいじゃない。
昔日本で友人宅に宿泊した時も驚いた。先にお風呂を使わせてもらって,彼女が次に入ると思っていたら「今日は汚れていないから(入らない)」とひと言。そんな,泥まみれの作業をしたわけではないが,そうそう衣類で覆われた部分には目に見える汚れはなかろう。
日本とは違って,特に欧州では毎日入浴する習慣がないらしい(湿度や水道代の違い)。ここでも,友人の子どもが「お母さん,私は今日お風呂に入るの?」と聞いていて「今朝はホッケーに行ったから入るのよ」と言われていた。
人の汚れは目につきやすい。例えば,お義母さんの家のキッチンの手拭きタオルが汚れているというのはよくある話だろう。お義母さんにしてみれば,徐々に染みなどが蓄積していったタオルだとしても洗濯して清潔にしているつもり。汚れていないのだ。老眼でよく見えないのかもしれないが,初めて見る者にとっては購入時の新品が基準なので,汚れが目に付く。嫌なら自分専用のタオルを使えばいい。
「汚れてない」と言われれば,ホントに返す言葉がない。「目に見えないだけで実際は汚れてる」と言ったところで,汚れを測定する訳ではあるまいから,聞き入れてはもらえない。汚れを指摘されるのはツライので,「汚れてない!」と頑なにもなる。
そんなはずはないのに「汚れてないからいい」と開き直られるのは不快なので,せめて口に出さないで欲しい。もはや心理的なモノと言っていいかも。
キレイな部分は当たり前で,他に対しては汚れたマイナスの部分に目が行きがちだ。清潔さをキープするには「目に見えて汚れてなくても洗う」という習慣。漂白もたまにしないとね。清潔さも積み重ねだ。
人付き合いとは,清潔さの意識の違いを受容することである。