昨年,夫方の親戚が亡くなった。コロナに感染してから一か月後。中東ではすぐに電話でお悔みを伝える慣習があるらしく,私もひと言伝えなければならない。夫に何と言ったらいいのか尋ねても,「自分の言葉で言うべきだ」と教えてはくれないのだ。
日本に向けても,お花とお悔やみの言葉を贈ることがある。一応ネットで文例集を見てみたが…何というか,ひどいサイトも散見される。
さぞかしお力を落とし(無念)のこととお察し申し上げます。→察すると言えるのが,あまりにも傲慢。さぞかしという強調の言葉も同様で,「私はあなたの深い悲しみを推測できます」,つまり私は思いやりがあり,気持ちを察する能力があると言っている。よく「私も父を亡くしたから,父親を亡くしたあなたの気持ちはわかる」と知ったようなことを言う人がいるが,わかるはずなかろう。
この度は誠にご愁傷さまでございます。→「ご愁傷様」という言葉は,「相手の期待外れを皮肉って言う」時にも使われるので,かなり抵抗がある。絶対に使わない。
この度は思いがけないお知らせをいただきました。→思いがけない…予期しないという意味で良いことにもその反対にも使われるが,「思いがけない人に会った」や「思いがけない贈り物」などいいことに使うのが多いような気がする。直接使うと,「私がプレゼントをあげるなんて思いもしなかったって?ケチだということか?」と怒りを買ったり。「思いがけない」には「思ってもいなかった」という意味があり,それこそ人の死を事前に予測していたら問題。この文自体が不要だが,「思いがけないお知らせ」とどうしても書きたいのなら「突然の訃報」でいいのではないか。
○○さんが亡くなられたと聞き,急いで駆けつけてまいりました。→急いで駆けつけたというのは,自分がどれだけ遺族のためにがんばったかアピールしているようなもの。忙しいあなたの努力を認めて欲しいのはわかるが,遺族に直接言わなくていい。来ているのを見ればわかる。遺族を気遣うことに集中すべき。
社の者も仕事がすみ次第駆けつけると思います。→仕事がすみ次第!社長の言葉かもしれないが,「私はトップとしてきちんと社員を動かしているのだ」とか「私は偉いのだ」という権威のアピールが見える。会社員が会社で仕事をしているのは当然なのに,それをいちいち説明するところが言い訳がましく,仕事の方が大事なのねと良くない印象を与える。「駆けつける」という表現も大げさで,仕事が終わって疲れているのに休みもなく来させて負担をかけていると遺族に気遣わせる。実に嫌な文だ。
さきほどお電話をいただき,とりあえずとんでまいりました。→同じく自分は忙しいのにわざわざ来たと言いたげ。「とんできた」という言葉に真剣さというより滑稽さを感じる。マンガで言うと,足元がクルクルと車輪のように回っているイメージ。ただ急げばいいってもんじゃない。「とりあえず」というのも…「たちまちに」という意味もあるが,「さしあたって。まず。一応」の方がよく使われる。「他にすることがないので,一応来てみた」や「来ないより来た方がいいと思ったので一応来たけど」とやる気のなさが感じ取れる。「さきほどお電話をいただき」というまどろっこしい表現も,ゆったりした気楽なイメージがする。この一文は,とにかくちぐはぐなのだ。
ご活躍の(人望のある)○○さんだっただけに,社内でも皆悲しんでおります。→活躍(人望)の有無で悲しみの度合いが違うと言っているのか。皆悲しんでいるというのも…本当に全員が?泣いているところでも見たの?と勘ぐってしまう。余計なことは言わなくていい。
成功なさった〇〇さんを亡くし→私は「成功している」という言い方が好きではないので,かなり抵抗がある。何をどうすれば,どういう状態が成功なのか。そう見えたとしても,その人のわずか一面だけだろう。加えて言えば,自分のことを成功していると口にする人は,人間として成功していない。
あんなにお元気でいらっしゃいましたのに,とても信じられない思いでございます。→その人があなたに見せていない面(病気など)があったということで,故人が気を許していなかった関係だったと認めるようなもの。何年も会っていなかったのなら,「あんなにお元気で」と言われても。
ご病気だとは知りませんでした→これも同様。「それは知らなかった」という言葉は,他のことは何でも知っているのに,というニュアンスがある。知らなかったから仕方がない,という意味にも取れ,自分の責任を回避しようという気持ちが見える。
こんな悲しいことはありません。→「これより悲しいことはない」という意味だが,大げさ過ぎる。長い人生,誰しもいろいろあるのは当たり前だとわかっているのに,これより悲しいことはないって?故人と何か特別な関係だったのかと疑いたくなる。
本当に突然のことでびっくりしました。→死に対してびっくりという言葉を選ぶこと自体が問題。大人の書き言葉ではまず使わないだろうし,人の死にはびっくりするのは当たり前なので,いちいち言わなくてよい。じゃあ「驚いた」にすればいいかというと,それも違う。
この度はとんだことになりまして,言葉もありません。→とんだこと?悪いことでもしたのか?例えそうであっても,何があったかわかっている遺族にわざわざ「私は知ってるのよ」と伝える必要なし。言葉もないという表現も…状況によっては,呆れてモノが言えないという意味にも取れる。
どうぞお悲しみのあまり,お体をこわされないよう大切にして下さいませ。→やたらとていねいな言葉で気遣っているように聞こえるが,「悲しみのあまり」という言い方を悲しんでいるであろう人に直接使うか。逆に,乗り越えようとしているのに悲しみを思い出させる。体を壊すという言い方も…悪いことが重なるかもと警告しているようだ。打ちのめされるフレーズ。
一日も早く元気になって下さい→亡くした家族のことを想うことが元気でないというように感じる。一日を争うことでもない。元気という状態とはどういうことなのかわかって言っているのか?もう黙ってて,何も言わなくていいからと思う。
私に出来ますことがありましたら何でもお手伝いいたしますので,何なりとお申しつけ下さい。→お申しつけ下さいって…召使いか何かでしょうか。「何でもお手伝いする」というのが大げさだし,何なりとお申し付けをと言いつつ,「私にできることの範囲で」と条件がついていて…実際は大したことはできないから何も頼まないでね,ただの社交辞令ですからという感じを受ける。常識的にできる範囲でしか頼まないのに,「私のできる範囲で」なんて制限をつけて…頼まれないことを承知の上での申し出だ。安っぽい親切のフリ。あなたの範囲がどれだけか知る由もない。本気でないなら何も言わなくていい。
ご家族の方々の看病のかいもなく亡くなられるなんて,とても本当とは思えません。→看病のかいもなくと言うのは遺族に大変失礼。「本当とは思えない」という言い方も稚拙で,日本語が母国語でない人のよう。
ご養生の甲斐もなくご逝去なさいましたそうで,皆さまのご胸中はいかがなものかとお察しいたします。→「ご逝去なさる」という敬語も「いかがなものか」という表現も問題だが…思いやりが全く感じられない一文。実に不快。
あのように立派な方を事故で失うなどとは,残念でなりません。→事故で亡くなったというのは遺族もわかっていることなので,わざわざあなたが復唱しなくてよい。(日本語はわかり切った言葉を省くことが多いのに,やたらと復唱する傾向もある。中身がなく話が長くなる。)事故じゃなく病気だったらよかったのかとか,立派でなかったら亡くなっても残念ではないのか,とひっかかりが生じ,命に軽重をつけている感じがする。何も言わなくていい。
ご生前中は,何かとお世話になりまして,ありがとうございました。→何かと…?ホントに?エピソードを一つでも書くべき。
日本では,亡くなったことの無念さと家族の気持ちに焦点を当ててお悔やみの言葉を述べるように思う。忌み言葉を避けるように例文を参考にするのではなく,相手の気持ちに寄り添えば忌み言葉は出てこない。
アメリカでは,生きていたことを祝い感謝するニュアンスが強い。大げさな言葉や思ってもいない言葉は,遺族を余計に傷つける。過剰な敬語で無理にいいことを言おうとすると失敗する。
最近はインターネットで,やたらと大げさな見出しの言葉(絶賛・驚愕・歓喜の嵐等)を見るが,中身は全く大したことない。大げさな言葉の見出し=中身の薄っぺらい記事。言葉をいじくり回しても気持ちは伝わらないし,記憶には残らず,残るのは読後の虚しさ。
例文なんてない。故人のことを大事に想い,遺族の気持ちに寄り添える言葉を伝え行動で示したいと思う。